肝要工夫録 / 足るを知る
およそ人、足ることを知つて上を見ず、身の程を知つて、萬事堪忍すること、肝要の工夫なり。後水尾院御製に、足ることを、知る心こそ、寶船、ものゝ數〻、つみ置かずとも。この御歌の如く、人はいかほど、博學秀才なればとて、足ることを知るの一事なき時は、日々の行、みな道理に背くことのみ多し。又何程金銀珠玉ありても、この一事を知らざれば、飽くことなし。博識多才をも寶とせず、金銀珠玉をも寶とせずして、唯だ足ることを知るの一事を以て、身をおさむるの寶とすべし。恐れ多くも、神君、五字七字の御敎あり。五字は「うへをみな」。七字は「みのほどをしれ」。實にありがたき御敎なり。上を見て暮す故に、種々の私欲も起り、富貴の者をうらやみ望み、常に萬物の下に屈し、伸ぶること能はず、いたづらに、神佛をいのり、人に諂ふ事を尊とす。又身の程を知らずして、樣々の不足をいひ、天下を誹謗し、上を怨み、人を嫉むを常として、たゞ及びがたき安逸奢侈をねがふこと、みな足る事をしらざるの憂なり。愚歌に、うへをみず、身の程をしり、暮しなば、士農工商、ともに安樂。
新字:およそ人、足ることを知つて上を見ず、身の程を知つて、万事堪忍すること、肝要の工夫なり。後水尾院御製に、足ることを、知る心こそ、宝船、ものゝ数〻、つみ置かずとも。この御歌の如く、人はいかほど、博学秀才なればとて、足ることを知るの一事なき時は、日々の行、みな道理に背くことのみ多し。又何程金銀珠玉ありても、この一事を知らざれば、飽くことなし。博識多才をも宝とせず、金銀珠玉をも宝とせずして、唯だ足ることを知るの一事を以て、身をおさむるの宝とすべし。恐れ多くも、神君、五字七字の御教あり。五字は「うへをみな」。七字は「みのほどをしれ」。実にありがたき御教なり。上を見て暮す故に、種々の私欲も起り、富貴の者をうらやみ望み、常に万物の下に屈し、伸ぶること能はず、いたづらに、神仏をいのり、人に諂ふ事を尊とす。又身の程を知らずして、様々の不足をいひ、天下を誹謗し、上を怨み、人を嫉むを常として、たゞ及びがたき安逸奢侈をねがふこと、みな足る事をしらざるの憂なり。愚歌に、うへをみず、身の程をしり、暮しなば、士農工商、ともに安楽。
書き下し
およそ人、足ることを知つて上を見ず、身の程を知つて、萬事堪忍すること、肝要の工夫なり。後水尾院御製に、足ることを、知る心こそ、寶船、ものゝ數〻、つみ置かずとも。この御歌の如く、人はいかほど、博學秀才なればとて、足ることを知るの一事なき時は、日々の行、みな道理に背くことのみ多し。又何程金銀珠玉ありても、この一事を知らざれば、飽くことなし。博識多才をも寶とせず、金銀珠玉をも寶とせずして、唯だ足ることを知るの一事を以て、身をおさむるの寶とすべし。恐れ多くも、神君、五字七字の御敎あり。五字は「うへをみな」。七字は「みのほどをしれ」。實にありがたき御敎なり。上を見て暮す故に、種々の私欲も起り、富貴の者をうらやみ望み、常に萬物の下に屈し、伸ぶること能はず、いたづらに、神佛をいのり、人に諂ふ事を尊とす。又身の程を知らずして、樣々の不足をいひ、天下を誹謗し、上を怨み、人を嫉むを常として、たゞ及びがたき安逸奢侈をねがふこと、みな足る事をしらざるの憂なり。愚歌に、うへをみず、身の程をしり、暮しなば、士農工商、ともに安樂。
現代語訳
おおよそ人は、足ることを知って上を見ず、身の程を知って万事を堪忍することが肝要の工夫です。後水尾院の御製に、「足ることを、知る心こそ、宝船、ものの数々、積み置かずとも」。この御歌のように、人はいかに博学秀才であっても、足ることを知る一事がないときは、日々の行いに、道理に背くことばかり多くなります。また、どれほど金銀珠玉があっても、この一事を知らなければ満足することはありません。博識多才をも宝とせず、金銀珠玉をも宝とせず、ただ足ることを知る一事をもって、身を治める宝とすべきです。恐れ多くも、神君(徳川家康)に五字七字の御教えがあります。五字は「うへをみな」、七字は「みのほどをしれ」です。実にありがたい御教えです。上を見て暮らすので、さまざまな私欲も起こり、富貴の者をうらやみ望み、常に万物の下に屈して伸びることができず、むやみに神仏に祈り、人に諂うことを尊ぶようになります。また身の程を知らず、さまざまな不足を言い、天下を誹謗し、上を怨み、人を嫉むのを常とし、ただ及び難い安逸と奢侈を願うのは、みな足ることを知らないための憂いです。拙い歌に、「上を見ず、身の程を知り、暮らしなば、士農工商、ともに安楽」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『肝要工夫録』・貧富は天命何事も、足ることを知り、一生に、堪忍づよき、人はあんらく。總じて、人の貧富貴賤あるは、天命にして、人力を以て變ぜらるゝ者にあらず。たとへば、己が一身五體のうちにも、貧富貴賤はあるぞかし。腹はつねに衣に包まれ、飮食に滿ち、手足は常に役使せられ、首は上もなく尊けれども、常に裸暮しなり。然りとて、首が別に寒さにもあらず、手足が別に辛勞なるにもあらず。人々今日の貧富も亦た此のごとくなれば、唯だその天命に安んじ、足ることを知り、職分を大切に勤むるときは、富貴は自然と天にあることとなり。(足ることを知り、天命に安んぜむと思はゞ、北門の詩などを翫味して、古人の操を知つて學ぶべき事なり。)
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『玉勝間』十一の巻 足ことを知ると云ふ事たることを知ると云うは、もろこし人の常に、いみじきわざにすめる事なるを、これまことにいと善き事にて、しか思いとらば、程々につけて、誰も誰も、心はいと安かりぬべきわざにぞ有りける。然はあれども、高きみじかき、ほどほどに望みねがう事の尽きせぬぞ、世の人の真情にて、今は足りぬと覚ゆる世は無きものなるを、世には足ること知れるさまに云いて、さるかおする人の多かるは、例のからようの作り事にこそは有れ。まことにきよく然思いとれる人は、千万の中にも、有りがたかるべきわざにこそ。
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『家道訓』巻之五・用財中一我が身の私慾をすくなくすれば、身をやしなひ自楽むに、多くの財をつひやさずして事足りぬべし。大富貴の人といへど、人にかはりて大に飲み食ふことならず。多くきぬをかさね著せず、大なる屋宅に居らずして、身を安くす。しかれば身の養は、分外をねがはずとも事たりぬべし。
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『大和俗訓』巻之四・心術下一慾すくなくして、わが身の足る事を知るものは、分限を安んじて、貧賤にしても亦楽しむ。たのしむ者は常にあきたる。慾多くして、足る事を知らざるものは、富貴にしても、分限を知らずして、あきたらず。あきたらざる者は、楽むことを知らずして、外に求めて止まず。つひにわざはひとなる事、亦多し。
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『格言聯璧』持躬類・安きは足るを知るより安きは莫し受享して慮り疾病に及べば、則ち儉を用ふ。 安きは足るを知るより安きは莫く、危きは多言より危きは莫し。 貴きは求むる無きより貴きは莫く、賤しきは欲多きより賤しきは莫く、樂しきは善を好むより樂しきは莫く、苦しきは貪り多きより苦しきは莫く、長ずるは博く謀るより長ずるは莫く、短なるは自ら恃むより短なるは莫く、明かなるは物を體するより明かなるは莫く、暗きは幾に昧きより暗きは莫し。
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『酔古堂剣掃』集醒・足るを知る者は身貧しくして心富む得るを貪る者は、身富みて心貧し。足るを知る者は、身貧しくして心富む。高きに居る者は、形逸にして神勞す。下に處る者は、形勞して神逸す。

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