玉勝間 / 十一の巻 古事記伝の六の巻に入るべき事
古事記の、伊邪那岐ノ命の御禊の段に、生出坐る神たち、八十禍津日ノ神より、須佐之男ノ命まで、合せて十四柱なるを、十柱とありていづれの本も同じことなり。もし四の字の脫たるかとも思へど、然にはあらず。延佳本にのみ、十四柱とあるは、さかしらに四の字を補ひたるなり。この十柱と記せるは、三柱の綿津見ノ神を一柱とし、三柱の筒之男ノ神をも、一柱として計へたる數なり。斯くさまにかぞへたる類ひの例、上にも有て、傳の五の卷の、六十二のひらに云へるが如し。考へ合すべし。然るをおのれ傳に、何の心も無く、延佳本によりて、十四柱と書たりしは、惡ろかりき。猶十柱と有るにぞ從ふべき。これらの事をも、傳に云ふべかりしを、落せる故に、ここに云ふなり。
新字:古事記の、伊邪那岐ノ命の御禊の段に、生出坐る神たち、八十禍津日ノ神より、須佐之男ノ命まで、合せて十四柱なるを、十柱とありていづれの本も同じことなり。もし四の字の脱たるかとも思へど、然にはあらず。延佳本にのみ、十四柱とあるは、さかしらに四の字を補ひたるなり。この十柱と記せるは、三柱の綿津見ノ神を一柱とし、三柱の筒之男ノ神をも、一柱として計へたる数なり。斯くさまにかぞへたる類ひの例、上にも有て、伝の五の巻の、六十二のひらに云へるが如し。考へ合すべし。然るをおのれ伝に、何の心も無く、延佳本によりて、十四柱と書たりしは、悪ろかりき。猶十柱と有るにぞ従ふべき。これらの事をも、伝に云ふべかりしを、落せる故に、ここに云ふなり。
書き下し
古事記の、伊邪那岐の命の御禊の段に、生まれ出でませる神たち、八十禍津日の神より、須佐之男の命まで、合わせて十四柱なるを、十柱とありていずれの本も同じことなり。もし四の字の脱けたるかとも思えど、然にはあらず。延佳本にのみ、十四柱とあるは、さかしらに四の字を補いたるなり。この十柱と記せるは、三柱の綿津見の神を一柱とし、三柱の筒之男の神をも、一柱として計えたる数なり。かくさまにかぞえたる類いの例、上にも有りて、伝の五の巻の、六十二のひらに云えるが如し。考え合わすべし。然るをおのれ伝に、何の心も無く、延佳本によりて、十四柱と書きたりしは、悪ろかりき。なお十柱と有るにぞ従うべき。これらの事をも、伝に云うべかりしを、落とせる故に、ここに云うなり。
現代語訳
『古事記』の、伊邪那岐命の御禊の段で、お生まれになった神々は、八十禍津日神から須佐之男命まで、合わせて十四柱であるのに、「十柱」とあって、どの写本も同じである。もしや「四」の字が脱けたのかとも思うが、そうではない。度会延佳の本にだけ「十四柱」とあるのは、利口ぶって「四」の字を補ったのである。この「十柱」と記しているのは、三柱の綿津見神を一柱とし、三柱の筒之男神をも一柱として数えた数である。このように数えた類の例は前にもあって、『古事記伝』の五の巻の六十二丁に述べたとおりである。考え合わせるべきである。それなのに私は『古事記伝』で何の考えもなく、延佳本によって「十四柱」と書いてしまったのは悪かった。やはり「十柱」とあるのに従うべきである。これらのことも『古事記伝』で言うべきであったのに、書き落としたので、ここで言うのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』九の巻 書紀の本書一書の事又月読命は、その光彩日に亜ぐ云云としるされ、一書に、その御名のミコトに、尊の字を書かれたるばかり、尊き神にましますを、ただ月の神を生むとのみ有りて、御名の無きはいかにぞや。又高御産巣日の神は、世のはじめに成り坐して、最も尊き天つ神にましまして、御名にも尊の字を書かれ、神武天皇も、御みずから顕斎し給いて、道の臣の命を斎主として、殊に祭らせ給うばかりの神にましますに、天地のはじめの段にただ一書にのみ、その初めをば記されて、本書には、下巻に至りてはじめて、俄かにふと御名を書き出だされて、皇祖とも記して、皇孫の命を、葦原の中つ国に天降し奉り給う事も、みなこの神の詔命し給えるは、これ又初めと後と違えるがごとし。この事は、県居の大人も心得ぬ事に云われたり。まことに他の神たちのごとく、末にいたりて、ゆくりなく俄かに、云い出づべき神にはましまさず。成り出で坐しし始めを、必ずたしかに記さるべきわざなるをや。大かたこれらのたぐいの事ども、撰者の心もて、取りも捨てもせられし程に、本書は、中々にととのわぬ事どものあるなんめり。
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『玉勝間』九の巻 八百万ノ神と云ふを書紀に八十万ノ神と記されたる事もろもろの神たちを、すべて云うには、古事記をはじめて、そのほかの古き書どもにも、皆、八百万の神と云えるぞ常なるに、ただ書紀にのみは、いずこにもいずこにも、八十万の神とのみ有りて、八百万神とある所は見えず。こはいかさまにも、撰者の心あることと見えたり。神の御名に、日高と申すをも、彼の紀には、皆かえて、彦としるされたるは、当代の天皇の御名をさけられたりとおぼしきを、この八十万の神は、いかなる由にか有らむ、いまだ思いえず。さてかようの類いも、神の御名の文字なども、何も後の世の書どもは、おおかた書紀にのみ由れるを、たまたまこの称は書紀に由らず、今の世にいたるまでも、八百万の神とのみ云いならえるは、めづらし。
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『玉勝間』九の巻 書紀の本書一書の事書紀神代の巻の段々に、同じ事の異あるを、別に一書に曰くとて、いくつも挙げられたるは、そのかみ古き伝えの書どもあまた有りしを、此れをも彼れをも、遺されざるにて、そは論無く、よろしきを、本書はしも、ここに一つの古書に、とおして由られたるには有らずして、あまたが中に、いささかにても、漢意に近く、ことよれる限りを、撰者の心もて、これかれを択り出で、とり集めて、書きつづけられたる物と見えて、始めおわりとおらざる事ども有り。まず天照大御神の大御名、はじめには、ただ大日孁貴と号すとのみ記して、亦の名天照大神など云う事も無きに、次の段よりは天照大神と記されたるは、これ初めと後と違いたり。天照大神と申すは、一書にしるせる御名にして、本書にもはじめには、ただ一書に曰く天照大神と、注に記されたれば、異なる伝えにこそ有れ。然るに次にいたりて、俄かにその御名をしも挙げられたるは、これかの大日孁貴の御事なりとは、何をもて知らむ。天照大神と申すは、その初めいかなる神とも知られざるがごとし。
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『古語拾遺』開闢と天つ罪一に聞く、夫れ開闢の初め、伊奘諾・伊奘冉の二神、共に夫婦と為りて、大八州国及び山川草木を生む。次に日神・月神を生む。最後に素戔鳴神を生む。而るに素戔鳴神、常に哭泣を以て行と為す。故に人民をして夭折せしめ、青山をして枯に変ぜしむ。斯に因りて父母の二神、勅して曰く、「汝甚だ無道なり。宜しく早く根国に退き去るべし」と。又天地剖判の初め、天中に生ずる所の神、名を天御中主神と曰う。次に高皇産霊神、次に神皇産霊神。其の高皇産霊神の生む所の女、名を栲幡千千姫命と曰う。其の男、名を天忍日命と曰う。又の男、名を天太玉命と曰う。太玉命の率いる所の神、名を天日鷲命・手置帆負命・産狭知命・櫛明玉命・天目一箇命と曰う。是に於て素戔鳴神、日神に辞し奉らんと欲して天に昇る時、櫛明玉命迎え奉りて、献るに瑞の八坂瓊の曲玉を以てす。素戔鳴神之を受けて転じて日神に奉る。仍りて共に約誓す。即ち其の玉に感じて天祖吾勝尊を生む。是を以て天照大神、吾勝尊を育みて、特に甚だ鍾愛し、常に腋の下に懐く。称して腋子と曰う。其の後、素戔鳴神、日神の為に行い甚だ無状なり。種々に凌侮す。所謂る畔毀ち・溝埋め・樋放ち・重播き・串刺し・生剥ぎ逆剥ぎ・屎戸なり。
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『神皇正統記』巻一 天神七代次、素戔烏尊を生ます。いさみたけく不忍にして父母の御心にかなはず。「根の国にいね。」との給ふ。この三柱は男神にてまします。よりて一女三男と申也。すべてあらゆる神みな二神の所生にましませど、国の主たるべしとて生給しかば、ことさらに此四神を申伝けるにこそ。其後火神軻倶突智を生ましましし時、陰神やかれて神退給にき。陽神うらみいかりて、火神を三段にきる。その三段おのおの神となる。血のしたゝりもそゝいで神となれり。経津主の神健甕槌神の祖也。陽神猶したひて黄泉までおはしましてさまざまのちかひありき。陰神うらみて「此国の人を一日に千頭ころすべし。」との給ければ、陽神は「千五百頭を生べし。」との給けり。よりて百姓をば天の益人とも云ふ。死るものよりも生ずるものおほき也。陽神かへり給て、日向の小戸の河檍が原と云所にてみそぎし給。この時あまたの神化生し玉へり。日月神もこゝにて生給と云説あり。伊弉諾尊神功すでにをはりければ、天上にのぼり、天祖に報命申て、即天にとゞまり給けりとぞ。或説に伊弉諾・伊弉冊は梵語なり、伊舎那天・伊舎那后なりと云ふ。
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『玉勝間』四の巻 ほむすびの神いざなぎ、いざなみ二柱の大神の、国土またもろもろの神たちを生み生みて、火産霊神を生み給えるまでは、物の成れる吉事のみにして、凶事は無かりしを、かのほむすびの神を生み給えるによりて、いざなみの大神の、岩隠れましまししは、世の中の凶事の始めなり。さればほむすびの神は、そのかみ吉事の終り、凶事のはじめのきわに、成りませる故に、吉と凶とをかね給える神にませり。火は、世の中に物を熟しととのえ成す功多くして、また万の物を焼きほろぼす凶事も、たぐい無し。これ吉と凶とのきわに成り坐して、吉と凶とをかね給える、この神の御霊によるものなり。ここにある人の云わく、伊邪那美命、女神にまして、御言先だち給いしゆえによりて、蛭子・淡島と、よからぬ御子の生ませる、これをぞ世の中の凶事のはじめとは云うべきを、いざなみの命の御石隠れを、はじめと云えるはいかが。答えけらく。女神の御言さきだちしは、ことわりにたがいつれども、あなにやしちょう御詞は、吉事なり。また悪しき御子にまれ、生ませるは、なお吉事にしあれば、正しき凶事とは云いがたし。さればかれはただ、世の中の万の事には、必ず凶もまじらでは得あらぬ、ことわりの本とぞ云うべかりける。
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