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玉勝間 / 九の巻 書紀の本書一書の事

又月讀命は、其光彩亞日云云としるされ、一書に、其御名のミコトに、尊字を書れたるばかり、たふとき神にましますを、唯だ生月神とのみ有りて、御名の無きはいかにぞや。又高御產巢日ノ神は、世のはじめに成坐シて、最尊き夫神にましまして、御名にも尊ノ字を書かれ、神武天皇も、御みづから顯齋し給ひて、道ノ臣ノ命を齋主として、殊に祭らせ給ふばかりの神にましますに、天地のはじめの段に唯だ一書にのみ、その初めをば記されて、本書には、下卷に至りてはじめて、俄にふと御名を書出されて、皇祖とも記して、皇孫ノ命を、葦原ノ中ッ國に天降し奉り給ふ事も、みな此神の詔命し給へるは、これ又初メと後と違へるが如し。此事は、縣居ノ大人も心得ぬ事に云はれたり。まことに他神たちのごとく、末にいたりて、ゆくりなく俄かに、云ひ出ッべき神にはましまさず。成ッ出テ坐シし始ノを、必ずたしかに記さるべきわざなるをや。大かた是等のたぐひの事ども、撰者の心もて、取りも捨テもせられし程に、本書は、中中にととのはぬ事どものあるなンめり。

新字:又月読命は、其光彩亜日云云としるされ、一書に、其御名のミコトに、尊字を書れたるばかり、たふとき神にましますを、唯だ生月神とのみ有りて、御名の無きはいかにぞや。又高御産巣日ノ神は、世のはじめに成坐シて、最尊き夫神にましまして、御名にも尊ノ字を書かれ、神武天皇も、御みづから顕斎し給ひて、道ノ臣ノ命を斎主として、殊に祭らせ給ふばかりの神にましますに、天地のはじめの段に唯だ一書にのみ、その初めをば記されて、本書には、下巻に至りてはじめて、俄にふと御名を書出されて、皇祖とも記して、皇孫ノ命を、葦原ノ中ッ国に天降し奉り給ふ事も、みな此神の詔命し給へるは、これ又初メと後と違へるが如し。此事は、県居ノ大人も心得ぬ事に云はれたり。まことに他神たちのごとく、末にいたりて、ゆくりなく俄かに、云ひ出ッべき神にはましまさず。成ッ出テ坐シし始ノを、必ずたしかに記さるべきわざなるをや。大かた是等のたぐひの事ども、撰者の心もて、取りも捨テもせられし程に、本書は、中中にととのはぬ事どものあるなンめり。

書き下し

又月読命は、その光彩日に亜ぐ云云としるされ、一書に、その御名のミコトに、尊の字を書かれたるばかり、尊き神にましますを、ただ月の神を生むとのみ有りて、御名の無きはいかにぞや。又高御産巣日の神は、世のはじめに成り坐して、最も尊き天つ神にましまして、御名にも尊の字を書かれ、神武天皇も、御みずから顕斎し給いて、道の臣の命を斎主として、殊に祭らせ給うばかりの神にましますに、天地のはじめの段にただ一書にのみ、その初めをば記されて、本書には、下巻に至りてはじめて、俄かにふと御名を書き出だされて、皇祖とも記して、皇孫の命を、葦原の中つ国に天降し奉り給う事も、みなこの神の詔命し給えるは、これ又初めと後と違えるがごとし。この事は、県居の大人も心得ぬ事に云われたり。まことに他の神たちのごとく、末にいたりて、ゆくりなく俄かに、云い出づべき神にはましまさず。成り出で坐しし始めを、必ずたしかに記さるべきわざなるをや。大かたこれらのたぐいの事ども、撰者の心もて、取りも捨てもせられし程に、本書は、中々にととのわぬ事どものあるなんめり。

現代語訳

また月読命は「その光の輝きは日に次ぐ」云々と記され、一書にはその御名の「みこと」に「尊」の字を書かれているほど尊い神であられるのに、本文にはただ「月の神を生む」とだけあって、御名がないのはどうしたことか。また高御産巣日神は、世の初めに成り出でられて、最も尊い天つ神であられ、御名にも「尊」の字を書かれ、神武天皇もご自身で顕斎(神を身に現して祭ること)をなさって、道臣命を斎主として特にお祭りになるほどの神であられるのに、天地の初めの段では、ただ一書にだけその始まりを記されて、本文では下巻に至って初めて、にわかにふと御名を書き出されて「皇祖」とも記し、皇孫命を葦原の中つ国に天降らせ申し上げることも、みなこの神がお命じになったとあるのは、これもまた初めと後とが食い違っているようである。このことは、県居の大人(賀茂真淵)も納得できないこととして言われた。まことに、ほかの神々のように、末になって思いがけずにわかに言い出すべき神ではあられない。成り出でられた始まりを、必ず確かに記されるべきものであるのに。おおかたこれらの類いのことは、撰者の考えで取ったり捨てたりされたために、本文はかえって整わないことがあるのであろう。

解説

『日本書紀』本文の不整合を、さらに二つの例で示した段である。月読命は日に次ぐ光を持つ尊い神なのに、本文では「月の神を生む」とだけあって名が記されない。高御産巣日神は天地の初めに成り出た最も尊い神で、神武天皇が自ら祭ったほどなのに、本文では神代の初めに現れず、天孫降臨の段で突然「皇祖」として命を下す。師の賀茂真淵もこれを不審としていた。宣長は、撰者が自分の考えで伝えを取捨したために、本文がかえって整わなくなったと結論する。宣長が古事記伝で古事記を第一とし、書紀を漢意の加わった書として慎重に扱った理由が、ここに具体的に示されている。

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