玉勝間 / 十一の巻 霊屋
榮花物語鳥邊野ノ卷に、一條ノ天皇の皇后宮のかくれさせ給へるを、をさめ奉る事を云べる處に、とりべ野の南の方に、二町ばかりさりて、たまやと云ふものを造りて、ついひぢなどつきて、ここにおはしまさせむとせさせ給ふとあり。今の世に御靈屋と云ふ名、此たまやなり。然れどもかのたまやと云へる物、今の御靈屋と、全く同じとは聞えず。いささか事かはりてぞ聞こゆる。
新字:栄花物語鳥辺野ノ巻に、一条ノ天皇の皇后宮のかくれさせ給へるを、をさめ奉る事を云べる処に、とりべ野の南の方に、二町ばかりさりて、たまやと云ふものを造りて、ついひぢなどつきて、ここにおはしまさせむとせさせ給ふとあり。今の世に御霊屋と云ふ名、此たまやなり。然れどもかのたまやと云へる物、今の御霊屋と、全く同じとは聞えず。いささか事かはりてぞ聞こゆる。
書き下し
栄花物語鳥辺野の巻に、一条の天皇の皇后宮のかくれさせ給えるを、おさめ奉る事を云える処に、とりべ野の南の方に、二町ばかりさりて、たまやと云うものを造りて、ついじなどつきて、ここにおわしまさせむとせさせ給うとあり。今の世に御霊屋と云う名、このたまやなり。然れどもかのたまやと云える物、今の御霊屋と、全く同じとは聞こえず。いささか事かわりてぞ聞こゆる。
現代語訳
『栄花物語』の鳥辺野の巻で、一条天皇の皇后宮(定子)がお亡くなりになったのをお納めする事を述べた所に、「鳥辺野の南の方に二町ほど離れて、霊屋というものを造り、築地などを築いて、ここにお置き申し上げようとなさる」とある。今の世に御霊屋という名は、この霊屋である。けれども、あの霊屋というものは、今の御霊屋とまったく同じものとは聞こえない。いくらか事情が違っているように聞こえる。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 口をよす今の世に、人の死にたる時に口をよせると云うわざするなり。これも同じ物語後悔しき大将の巻に、左近のめのと泣く泣く御くちよせに出でたつと有り。さてその口よする者をば、こうなぎと有り。今みこと云うなり。
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『玉勝間』八の巻 つぼね栄花物語若枝の巻に、はかなく屏風几帳ばかりを、ひきつぼねて、ひまもなくいたりと有り。局と云うは、つぼやかにつぼねたる所のよしなり。
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『玉勝間』五の巻 東宮の御息所 東宮の女御古今集に、二条の后の、東宮のみやすん所と聞えける時云云、いせ物語に、昔、東宮の女御の御方の云云と有る。まず二条の后は、清和天皇の中宮なり。貞観八年に、女御となり給い、同十年に、貞明親王を生み奉り給い、同十一年に、その親王皇太子に立たせ給う。これ陽成天皇におわします。これよりして、元慶元年に、中宮となり給うまでのあいだ、女御にて、皇太子の御母にましますを以て、東宮の女御とも、東宮の御息所とも申せること、契沖が余材抄、勢語臆断などに云えるがごとし。東宮の御母女御、御母御息所と云うことなり。御息所と申す称は、女御にまれ更衣にまれ、皇子皇女を生み奉り給える人を申す称なり。その趣源氏物語などを見て知るべし。かの物語に、桐壺の更衣などをも光源氏の君を生み奉られたる後は、御息所と云えること有り。その外も皆然かなり。然るを後の世に至りて、これを誤りて、御息所と申すを、東宮の妃の御事と心得たるから、この古今集いせ物語なるをも、清和天皇の東宮にて、ましましける時の御息所なり、と云う注あるは、いみじきひが事なり。東宮の妃を御息所と申すは、いたく後の世の俗称にこそあれ、古えにはかつて無き事なり。
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『玉勝間』六の巻 小宮同じ書に、建久四、十一、五、同記に云う、今日仁和寺の小宮(高倉院の御子)御灌頂の後朝なり云云。物がたり書どもに、いまだ元服せぬ人を、小君と云えり。これに小宮と有るは、皇子の、童にますほどを申すなるべし。
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『玉勝間』十二の巻 長持と云ふ物栄華物語若枝の巻に、なかもちからびつのふたに、いとおどろおどろしゅうたたみいれて、うちかさねて、二人などかきて、もてくるも有り、と有り。これ今の世にいう長持と聞えたり。この名うつほの物語にも見えたるを、その巻をわすれたり。
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『玉勝間』四の巻 女一宮女二宮など申す唱へ女一の宮・女二の宮など申す女の字、音に読みならえれども、栄華物語などに、男一の宮・男二の宮なども有る、男は音には読むべくも有らず、必ずおとこ一の宮などと読むべければ、女も古えはおんな一の宮、おんな二の宮などぞ読みつらむ。ことわりをもて思うにも、字音には読むまじき続きなり。
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