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玉勝間 / 十一の巻 肥後国阿蘇ノ神社

肥後國の阿蘇山は、麓より三里のぼりて、山ノ上に大なる池有て、つねに湯わきあがりて玉を散らし、いみしく火のもゆるを、其火のもゆること熾なる時には、石をとばして、池のほとりに近づき難し。神社は、山の下なる宮地村と云ふにたたせ給へり。そのさま左にしるせる圖の如し。一の宮は健磐龍命の神社。二の宮は阿蘇比咩の神社。國造神社は速瓲玉命、金凝神社は綏靖天皇におはしますなり。大宮司は、姓は宇治朝臣と云ふ。その宅は、件の宮地村をすこし離れて、大宮司屋敷と云ふ所に有ッと、肥後の國人の語れるなり。今思ふに、瓲をかめと唱ふるは誤にて、かの御名ハヤミカタマなるべし。又金凝ノ神社を、綏靖天皇と申すも、神八井耳ノ命を誤れるなるべし。さて大宮司の姓、今宇治ノ朝臣と云ふは、いかなる由にて、いつの代よりの事ならむ。古事記に阿蘇ノ君とあるこそ、此氏とは聞えたれ。

新字:肥後国の阿蘇山は、麓より三里のぼりて、山ノ上に大なる池有て、つねに湯わきあがりて玉を散らし、いみしく火のもゆるを、其火のもゆること熾なる時には、石をとばして、池のほとりに近づき難し。神社は、山の下なる宮地村と云ふにたたせ給へり。そのさま左にしるせる図の如し。一の宮は健磐竜命の神社。二の宮は阿蘇比咩の神社。国造神社は速瓲玉命、金凝神社は綏靖天皇におはしますなり。大宮司は、姓は宇治朝臣と云ふ。その宅は、件の宮地村をすこし離れて、大宮司屋敷と云ふ所に有ッと、肥後の国人の語れるなり。今思ふに、瓲をかめと唱ふるは誤にて、かの御名ハヤミカタマなるべし。又金凝ノ神社を、綏靖天皇と申すも、神八井耳ノ命を誤れるなるべし。さて大宮司の姓、今宇治ノ朝臣と云ふは、いかなる由にて、いつの代よりの事ならむ。古事記に阿蘇ノ君とあるこそ、此氏とは聞えたれ。

書き下し

肥後国の阿蘇山は、麓より三里のぼりて、山の上に大なる池有りて、つねに湯わきあがりて玉を散らし、いみじく火のもゆるを、その火のもゆること熾なる時には、石をとばして、池のほとりに近づき難し。神社は、山の下なる宮地村と云うにたたせ給えり。そのさま左にしるせる図の如し。一の宮は健磐龍命の神社。二の宮は阿蘇比咩の神社。国造神社は速瓲玉命、金凝神社は綏靖天皇におわしますなり。大宮司は、姓は宇治朝臣と云う。その宅は、件の宮地村をすこし離れて、大宮司屋敷と云う所に有りと、肥後の国人の語れるなり。今思うに、瓲をかめと唱うるは誤りにて、かの御名ハヤミカタマなるべし。また金凝の神社を、綏靖天皇と申すも、神八井耳の命を誤れるなるべし。さて大宮司の姓、今宇治の朝臣と云うは、いかなる由にて、いつの代よりの事ならむ。古事記に阿蘇の君とあるこそ、この氏とは聞こえたれ。

現代語訳

肥後国の阿蘇山は、麓から三里登ると、山の上に大きな池があって、いつも湯が湧き上がって玉を散らし、激しく火が燃えている。その火の燃え方が盛んな時には石を飛ばすので、池のほとりに近づくことができない。神社は、山の下の宮地村という所に鎮座しておられる。その様子は左に記した図のとおりである。一の宮は健磐龍命の神社、二の宮は阿蘇比咩の神社である。国造神社は速瓲玉命、金凝神社は綏靖天皇でいらっしゃる。大宮司は、姓を宇治朝臣という。その屋敷は、その宮地村から少し離れた、大宮司屋敷という所にあると、肥後の国の人が語った。今考えるに、「瓲」を「かめ」と読むのは誤りで、あの御名はハヤミカタマであろう。また金凝神社を綏靖天皇と申すのも、神八井耳命を誤ったものであろう。さて大宮司の姓を今は宇治朝臣というのは、どういう理由で、いつの代からのことであろうか。『古事記』に「阿蘇君」とあるのこそ、この氏のことと聞こえる。

解説

肥後の人から聞いた阿蘇山と阿蘇神社の話に、宣長が考証を加えた段である。火口の湯だまりが玉を散らし、噴火の激しい時は石を飛ばすという描写は、今の阿蘇中岳の姿そのものである。宣長は祭神の名の読みを「ハヤミカタマ」と正し、金凝神社の祭神を綏靖天皇とするのは、その兄の神八井耳命の誤りだろうと指摘する。『古事記』では、神八井耳命は阿蘇君などの祖とされているからである。さらに大宮司家が宇治姓を名のる理由を問い、古事記の阿蘇君こそ本来の氏だと見る。土地の人の語る今の伝えを聞きながら、古典の記述と照らして誤りを正すのが宣長の常の手順であった。『古事記伝』の知識が、遠い九州の神社の考証にもそのまま生きている。

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