玉勝間 / 十一の巻 歌を思ふほどにある事
歌よまむとて、思ひめぐらす程、一ふし思ひ得たる事の有るに、心のごと云ひととのへ難くて、時うつるまで思ひ、或るは日を重ねても、同じすぢにかかづらひてとかく續けみれども、つひに事ゆかぬ事あるものなり。さるをりは、其のふしをば、きよく捨てて、更にほかに求むべきわざなるを、さすがに惜しく、捨て難くて、あかずは覺えながら、いかがはせむに、しひて綴り出たる、いと心ぎたなきわざには有れども、誰れもよく有ることなり。又さやうに久しく思ひわづらひたる程に、其のかかづらへるすぢには有らで、思ひかけぬよき事の、ふとかたはらより出來て、た易く詠み出らるる事も有りかし。されどそれも、深く思ひ入たるから、さるよき事も出來るにて、初めよりのいたつきの、徒らになれるには有らずなむ。そもそも是等は、えうも無きあだことなれども、思ひ出たるままに、書出たるなり。
新字:歌よまむとて、思ひめぐらす程、一ふし思ひ得たる事の有るに、心のごと云ひととのへ難くて、時うつるまで思ひ、或るは日を重ねても、同じすぢにかかづらひてとかく続けみれども、つひに事ゆかぬ事あるものなり。さるをりは、其のふしをば、きよく捨てて、更にほかに求むべきわざなるを、さすがに惜しく、捨て難くて、あかずは覚えながら、いかがはせむに、しひて綴り出たる、いと心ぎたなきわざには有れども、誰れもよく有ることなり。又さやうに久しく思ひわづらひたる程に、其のかかづらへるすぢには有らで、思ひかけぬよき事の、ふとかたはらより出来て、た易く詠み出らるる事も有りかし。されどそれも、深く思ひ入たるから、さるよき事も出来るにて、初めよりのいたつきの、徒らになれるには有らずなむ。そもそも是等は、えうも無きあだことなれども、思ひ出たるままに、書出たるなり。
書き下し
歌よまむとて、思いめぐらす程、一ふし思い得たる事の有るに、心のごと云いととのえ難くて、時うつるまで思い、或るは日を重ねても、同じすじにかかずらいてとかく続けみれども、ついに事ゆかぬ事あるものなり。さるおりは、そのふしをば、きよく捨てて、さらにほかに求むべきわざなるを、さすがに惜しく、捨て難くて、あかずは覚えながら、いかがはせむに、しいて綴り出でたる、いと心ぎたなきわざには有れども、誰もよく有ることなり。またさように久しく思いわずらいたる程に、そのかかずらえるすじには有らで、思いかけぬよき事の、ふとかたわらより出で来て、たやすく詠み出でらるる事も有りかし。されどそれも、深く思い入りたるから、さるよき事も出で来るにて、初めよりのいたつきの、いたずらになれるには有らずなむ。そもそもこれらは、ようも無きあだことなれども、思い出でたるままに、書き出でたるなり。
現代語訳
歌を詠もうとして思い巡らしているうちに、一つの趣向を思いついたのに、心に思うとおりに言い整えるのが難しくて、時が経つまで考え、あるいは何日も重ねて、同じ筋にこだわってあれこれ続けてみても、結局うまくいかないことがあるものである。そういう時は、その趣向をきっぱり捨てて、改めて別のところに求めるべきなのだが、やはり惜しくて捨てがたく、満足できないと感じながらも、どうしようもなくて無理に綴り上げてしまうのは、たいへん未練がましいことではあるが、誰にもよくあることである。またそのように長く思い悩んでいるうちに、こだわっていた筋とは別の、思いがけないよい着想がふと傍らから出てきて、たやすく詠み出せることもある。しかしそれも、深く思い入っていたからこそ、そういうよい着想も出てくるのであって、初めからの苦労が無駄になったわけではないのである。そもそもこれらは、取るに足らない戯れ事ではあるが、思い出したままに書き出したのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 家隆卿のことばいえたかの二位の云われしは、歌はふしぎの物にて候なり。きとうち見るに、面白く悪しからずおぼえ候えども、次の日またまた見候えば、ゆゆしく見ざめのし候。これを善しと思い候けるこそふしぎに候え、などおぼゆる物にて候云々、とぞ云われける。誠にさる事なり。
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『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
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『玉勝間』十一の巻 うひ学びの輩の歌よむさま今の世にういまなびのともがらの、詠み出でたる歌は、聞こえぬ処を、聞こゆるさまにとりなおさば、古人の歌と、もはら同じくなること、常にあり。これさるべき事なり。いかにと云うに、ういまなびの程は、おおかた題をとりぬれば、まず昔の善き歌の集の中の、その題の歌どもを見て、その中の一つによりて、ここかしこ少しずつ詞を加えて、綴りなすならいなるを、大かた古人の善き歌は、その詞みな、必ず然云わではかなわぬさまにて、おおかた一もじも加え難き物なるを、いまだしき者の、心も得ず、ここかしこと替えぬれば、かえたる所の、必ずととのわぬわざなる故に、歌よく心得たる人の見て、そをととのうさまに引きなおせば、必ずまた本の古歌とひとしくはなるなり。さてさように古歌ともはら同じくては、新たに詠めるかい無きようなれども、うい学びの程のは、後まで、詠める歌数に入るべきにも有らざれば、そはとてもかくても有りぬべし。歌のさまこころえむ学びのためには、しばらくただおいらかにて、上の件のごとしたらむぞ善かるべき。さるを始めよりさかしだちて、人のふるさぬ珍しきふしを詠まむとせば、なかなかによこさまなる悪しき道にぞ、まどい入りぬべき。
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『玉勝間』十の巻 巻頭(山菅十)はてもなし云うべき事は云えど云えどなおやますげの乱れあいつつ。この野べのすさびよ、いとかくはかなき手習いを、ものものしく、巻ごとに名つけて、歌をさえに添えたるは、我ながらだに、あやしく覚ゆるを、おのずからも見む人は、まして如何にことごとしと思うらん。さるは初めの巻のはしに、ゆくりかに歌一つ物して、巻の名つけつるままに、つぎつぎも一つ二つ然かせしが、おのずから習いになりて、必ずさらでは得あらぬわざの如なりもてきぬるを、今さらにたがえむも、さすがにて、例のごと物するになむ。そもそのおりおり、思いうるままに、詠み出でもし、あるいは他事に詠みたるが有るをも、取り出でなどするを、につかわしく覚ゆるも、無きおりなど、今書かむとすとては、筆とりながら、思いめぐらすに、例の口おそさは、とみにも出でこで、しりくわえ勝ちなるも、あじきなく物くるおしきわざになん。この山菅も、かろうじてほり出でたる、さる歌のきたなげさよ。
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』四の巻 初学の詩つくるべきやうを教へたる説近き頃ある儒者の書ける物を見れば、初学の輩の、から歌を作るべきさまを教えたる中に云えるよう、所詮作りならいに、二三百もつくる間の詩は、社外の人に示すべきにも有らず、後に詩集に収録すべきにも有らざれば、古人の詩を、遠慮無く剽窃して、作り覚え、なお具足しがたくは、唐詩礎、明詩礎、詩語砕錦などようの物にて、補綴して、こしらゆるが善きなりと云えるは、まことに善き教えざまなり。歌詠むも、もはらさる事にて、初めよりおのが思うさまを、あらたに詠み出でむとすれば、歌のようにも有らぬ、ひがことのみ出で来て、後までも、さる癖ののぞこりがたき物なれば、うい学びのほどは、詞の続きも、心のおもむきも、ただ古りたる跡によりてぞ、詠みならうべきわざなりける。
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