玉勝間 / 十一の巻 うひ学びの輩の歌よむさま
今の世にうひまなびのともがらの、詠み出たる歌は、聞こえぬ處を、聞ゆるさまにとりなほさば、古、人の歌と、もはら同じくなること、常にあり。これさるべき事なり。如何にと云ふに、うひまなびの程は、おほかた題をとりぬれば、まづ昔の善き歌の集の中の、その題の歌どもを見て、その中の一つによりて、ここかしこ少しづつ詞を加へて、綴りなすならひなるを、大かた古、人の善き歌は、其詞みな、必ず然云はではかなはぬさまにて、おほかた一もじも加へ難き物なるを、いまだしき者の、心も得ず、ここかしこと替へぬれば、かへたる所の、必ズととのはぬわざなる故に、歌よく心得たる人の見て、そをととのふさまに引なほせば、必ず又本の古歌とひとしくはなるなり。さてさやうに古歌ともはら同じくては、新に詠めるかひ無きやうなれども、うひ學びの程のは、後まで、詠める歌數に入べきにも有らざれば、そはとてもかくても有りぬべし。歌のさまこころえむ學びの爲めには、しばらく唯だおいらかにて、上の件のごとしたらむぞ善かるべき。さるを始めよりさかしだちて、人のふるさぬ珍しきふしを詠まむとせば、中中によこさまなる惡しき道にぞ、まどひ入りぬべき。
新字:今の世にうひまなびのともがらの、詠み出たる歌は、聞こえぬ処を、聞ゆるさまにとりなほさば、古、人の歌と、もはら同じくなること、常にあり。これさるべき事なり。如何にと云ふに、うひまなびの程は、おほかた題をとりぬれば、まづ昔の善き歌の集の中の、その題の歌どもを見て、その中の一つによりて、ここかしこ少しづつ詞を加へて、綴りなすならひなるを、大かた古、人の善き歌は、其詞みな、必ず然云はではかなはぬさまにて、おほかた一もじも加へ難き物なるを、いまだしき者の、心も得ず、ここかしこと替へぬれば、かへたる所の、必ズととのはぬわざなる故に、歌よく心得たる人の見て、そをととのふさまに引なほせば、必ず又本の古歌とひとしくはなるなり。さてさやうに古歌ともはら同じくては、新に詠めるかひ無きやうなれども、うひ学びの程のは、後まで、詠める歌数に入べきにも有らざれば、そはとてもかくても有りぬべし。歌のさまこころえむ学びの為めには、しばらく唯だおいらかにて、上の件のごとしたらむぞ善かるべき。さるを始めよりさかしだちて、人のふるさぬ珍しきふしを詠まむとせば、中中によこさまなる悪しき道にぞ、まどひ入りぬべき。
書き下し
今の世にういまなびのともがらの、詠み出でたる歌は、聞こえぬ処を、聞こゆるさまにとりなおさば、古人の歌と、もはら同じくなること、常にあり。これさるべき事なり。いかにと云うに、ういまなびの程は、おおかた題をとりぬれば、まず昔の善き歌の集の中の、その題の歌どもを見て、その中の一つによりて、ここかしこ少しずつ詞を加えて、綴りなすならいなるを、大かた古人の善き歌は、その詞みな、必ず然云わではかなわぬさまにて、おおかた一もじも加え難き物なるを、いまだしき者の、心も得ず、ここかしこと替えぬれば、かえたる所の、必ずととのわぬわざなる故に、歌よく心得たる人の見て、そをととのうさまに引きなおせば、必ずまた本の古歌とひとしくはなるなり。さてさように古歌ともはら同じくては、新たに詠めるかい無きようなれども、うい学びの程のは、後まで、詠める歌数に入るべきにも有らざれば、そはとてもかくても有りぬべし。歌のさまこころえむ学びのためには、しばらくただおいらかにて、上の件のごとしたらむぞ善かるべき。さるを始めよりさかしだちて、人のふるさぬ珍しきふしを詠まむとせば、なかなかによこさまなる悪しき道にぞ、まどい入りぬべき。
現代語訳
今の世で、歌を学び始めたばかりの人たちが詠み出した歌は、意味の通らない所を通るように直してやると、昔の人の歌とまったく同じになってしまうことがよくある。これは当然のことである。なぜかというと、学び始めのうちは、たいてい題を取って詠むので、まず昔のよい歌の集の中から、その題の歌をいくつか見て、そのうちの一首をもとに、あちこち少しずつ言葉を加えて綴り上げるのが常である。ところが、たいてい昔の人のよい歌は、その言葉がみな、必ずそう言わなければならない形になっていて、ほとんど一文字も加えにくいものである。それを未熟な者が、その心もわからずにあちこち替えてしまうと、替えた所が必ず整わなくなる。だから歌をよく心得た人が見て、それを整うように直してやれば、必ずまた元の古歌と同じになるのである。さて、そのように古歌とまったく同じでは、新しく詠んだ甲斐がないようであるが、学び始めのうちの歌は、後々まで自分の詠んだ歌の数に入れるべきものでもないから、それはどうであってもかまわない。歌の姿を心得るための学びとしては、しばらくはただ素直に、上に述べたようにしているのがよい。それなのに初めから利口ぶって、人が詠み古していない珍しい趣向を詠もうとすれば、かえって筋違いの悪い道に迷い込んでしまうに違いない。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 初学の詩つくるべきやうを教へたる説近き頃ある儒者の書ける物を見れば、初学の輩の、から歌を作るべきさまを教えたる中に云えるよう、所詮作りならいに、二三百もつくる間の詩は、社外の人に示すべきにも有らず、後に詩集に収録すべきにも有らざれば、古人の詩を、遠慮無く剽窃して、作り覚え、なお具足しがたくは、唐詩礎、明詩礎、詩語砕錦などようの物にて、補綴して、こしらゆるが善きなりと云えるは、まことに善き教えざまなり。歌詠むも、もはらさる事にて、初めよりおのが思うさまを、あらたに詠み出でむとすれば、歌のようにも有らぬ、ひがことのみ出で来て、後までも、さる癖ののぞこりがたき物なれば、うい学びのほどは、詞の続きも、心のおもむきも、ただ古りたる跡によりてぞ、詠みならうべきわざなりける。
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべしおのづからの勢ヒにて、万葉に載れるころの歌にいたりては、みなかまへてよくよまんと、求めたる物にこそあれ、おのづからに出来たるは、いとすくなかるべし、万葉の歌すでに然るうへは、まして後世今の世には、よくよまんとかまふること、何かはとがむべき、これおのづからの勢ヒなれば、古風の歌をよまん人も、隨分に詞をえらびて、うるはしくよろしくよむべき也、万葉の歌の中にても云々、此集は、撰びてあつめたる集にはあらず、よきあしきえらびなく、あつめたれば、古ヘながらも、あしき歌も多し、善悪をわきまへて、よるべきなり、今の世、古風をよむともがらの、よみ出る歌を見るに、万葉の中にても、ことに耳なれぬ、あやしき詞をえり出つかひて、ひたすらにふるめかして、人の耳をおどろかさんとかまふるは、いといとよろしからぬこと也、歌も文も、しひてふるくせんとて、求め過たるは、かへすかへすうるさく、見ぐるしきものぞかし、万葉の中にても、たゞやすらかに、すがたよき歌を、手本として、詞もあやしきをば好むまじき也、
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふりよしやあしやをわきまふることあたはず、さやうにていつまでもたゞ、宗匠にのみゆだねもたれてあらんは、いふかひなきわざならずや、すべて近世風の歌人のごとく、何事も愚につたなき学びかたにては、生涯よき歌は出来るものにあらずと知べし、さて又はじめにいへる如く、歌をよむのみにあらず、ふるき集共をはじめて、歌書に見えたる万の事を、解キ明らむる学。
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『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふり和歌に師匠なしとのたまへるにあらずや、さて又世々の先達の立チおかれたる、くさぐさの法度掟の中には、かならず守るべき事も多く、又中にはいとつたなくして、必ズかゝはるまじきも多きことなるに、ひたぶるに固くこれを守るによりて、返て歌のさまわろくなれることも、近世はおほし、すべて此道の掟は、よきとあしきとをえらびて、守るべき也、ひたすらになづむべきにはあらず、又古人の歌は、みな勝れたる物のごとくこゝろえ、たゞ及ばぬ事とのみ思ひて、そのよしあしを考へ見んともせざるは、いと愚なること也、いにしへの歌といへども、あしきことも多く、歌仙といへども、ことごとに勝れたる物にもあらざれば、たとひ人まろ貫之の歌なりとも、実によき歟あしき歟を、考へ見て、及ばぬまでも、いろいろと評論をつけて見るべき也、すべて歌の善悪を見分る稽古、これに過たる事なし、大に益あること也、然るに近世の歌人のごとく、及ばぬ事とのみ心得居ては、すべて歌の善悪を見分べき眼の、明らかになるよしなくして、みづからの歌も、
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべしたててよめる人は、たゞ鎌倉ノ右大臣殿のみにして、外には聞えざりしを、吾師ノ大人のよみそめ給ひしより、其教によりて、世によむ人おほく出来たるを、其人どもの心ざすところ、必しも古の道を明らめんためによむにはあらず、おほくはたゞ歌を好みもてあそぶのみにして、その心ざしは、近世風の歌よみの輩と、同じこと也、さればよき歌をよみ出むと心がくることも、近世風の歌人とかはる事なし、それにつきては、道のために学ぶすぢをば、姑くおきて、今は又たゞ歌のうへにつきての心得どもをいはんとす、そもそも歌は、思ふ心をいひのぶるわざといふうちに、よのつねの言とはかはりて、必詞にあやをなして、しらべをうるはしくとゝのふる道なり、これ神代のはじめより然り、詞のしらべにかゝはらず、たゞ思ふまゝにいひ出るは、つねの詞にして、歌といふものにはあらず、さてその詞のあやにつきて、よき歌とあしき歌とのけぢめあるを、上代の人は、たゞ一わたり、歌の定まりのしらべをとゝのへてよめるのみにして、
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