玉勝間 / 一の巻 家隆卿のことば
いへたかの二位の云はれしは、歌はふしぎの物にて候なり。きとうち見るに、面白く惡しからずおぼえ候へども、次の日又又見候へば、ゆゆしく見ざめのし候。これを善しと思ひ候けるこそふしぎに候へ、などおぼゆる物にて候云云、とぞ云はれける。誠にさる事なり。
新字:いへたかの二位の云はれしは、歌はふしぎの物にて候なり。きとうち見るに、面白く悪しからずおぼえ候へども、次の日又又見候へば、ゆゆしく見ざめのし候。これを善しと思ひ候けるこそふしぎに候へ、などおぼゆる物にて候云云、とぞ云はれける。誠にさる事なり。
書き下し
いえたかの二位の云われしは、歌はふしぎの物にて候なり。きとうち見るに、面白く悪しからずおぼえ候えども、次の日またまた見候えば、ゆゆしく見ざめのし候。これを善しと思い候けるこそふしぎに候え、などおぼゆる物にて候云々、とぞ云われける。誠にさる事なり。
現代語訳
家隆の二位(藤原家隆)が言われたことには、「歌は不思議なもので、ちょっと見たところでは面白く悪くないと思われるのだが、次の日にまた見ると、ひどく見劣りがする。こんなものを良いと思っていたとは不思議なことだ、などと思われるものなのだ」などと言われた。まことにそのとおりである。
解説
新古今時代の歌人藤原家隆の言葉を書き留め、深く頷いた短い段である。詠んだ直後は面白く思えた歌が、翌日見直すとひどく見劣りする。こんなものをよく良いと思ったものだ、と自分で不思議になる。歌を作る者なら誰もが覚えのある経験で、宣長も「誠にさる事なり」とだけ添えている。宣長は生涯に一万首近い歌を詠んだと伝えられる歌詠みでもあった。作った瞬間の高揚は、出来の良し悪しを測る目を曇らせる。一晩置いて冷めた目で見直すことが、推敲の基本であるのは今も変わらない。文章でも企画でも、書いた直後の自信を疑い、時間を置いて読み返すことの大切さを、この短い一段は教えている。
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 歌を思ふほどにある事歌よまむとて、思いめぐらす程、一ふし思い得たる事の有るに、心のごと云いととのえ難くて、時うつるまで思い、或るは日を重ねても、同じすじにかかずらいてとかく続けみれども、ついに事ゆかぬ事あるものなり。さるおりは、そのふしをば、きよく捨てて、さらにほかに求むべきわざなるを、さすがに惜しく、捨て難くて、あかずは覚えながら、いかがはせむに、しいて綴り出でたる、いと心ぎたなきわざには有れども、誰もよく有ることなり。またさように久しく思いわずらいたる程に、そのかかずらえるすじには有らで、思いかけぬよき事の、ふとかたわらより出で来て、たやすく詠み出でらるる事も有りかし。されどそれも、深く思い入りたるから、さるよき事も出で来るにて、初めよりのいたつきの、いたずらになれるには有らずなむ。そもそもこれらは、ようも無きあだことなれども、思い出でたるままに、書き出でたるなり。
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』十の巻 片点諸点歌の点に、片点、諸点と云うこと、家隆の卿の書かれたる物に見えたり。
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『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうかくてそのふみ、はじめに一わたり見しには、さらに思いもかけぬ事のみにして、あまり事とおく、あやしきように覚えて、さらに信ずる心はあらざりしかど、猶あるよう有るべしと思いて、立ちかえり今一たび見れば、まれまれには、げにさもやと覚ゆるふしぶしも出で来ければ、また立ちかえり見るに、いよいよげにとおぼゆる事多くなりて、見るたびに信ずる心の出で来つつ、つひに古ぶりのこころことばの、まことに然る事をさとりぬ。かくて後に思いくらぶれば、かの契沖が万葉の説は、猶いまだしき事のみぞ多かりける。おのが歌まなびの有りしよう、大かた斯くの如くなりき。
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『玉勝間』十一の巻 うひ学びの輩の歌よむさま今の世にういまなびのともがらの、詠み出でたる歌は、聞こえぬ処を、聞こゆるさまにとりなおさば、古人の歌と、もはら同じくなること、常にあり。これさるべき事なり。いかにと云うに、ういまなびの程は、おおかた題をとりぬれば、まず昔の善き歌の集の中の、その題の歌どもを見て、その中の一つによりて、ここかしこ少しずつ詞を加えて、綴りなすならいなるを、大かた古人の善き歌は、その詞みな、必ず然云わではかなわぬさまにて、おおかた一もじも加え難き物なるを、いまだしき者の、心も得ず、ここかしこと替えぬれば、かえたる所の、必ずととのわぬわざなる故に、歌よく心得たる人の見て、そをととのうさまに引きなおせば、必ずまた本の古歌とひとしくはなるなり。さてさように古歌ともはら同じくては、新たに詠めるかい無きようなれども、うい学びの程のは、後まで、詠める歌数に入るべきにも有らざれば、そはとてもかくても有りぬべし。歌のさまこころえむ学びのためには、しばらくただおいらかにて、上の件のごとしたらむぞ善かるべき。さるを始めよりさかしだちて、人のふるさぬ珍しきふしを詠まむとせば、なかなかによこさまなる悪しき道にぞ、まどい入りぬべき。
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