玉勝間 / 十一の巻 琴さぎの事
同書に、和琴の事、或人語云、琴佐木は、長さ一寸八分、牛角にて作るなり。雁の胡國にかへる時、麥の葉をくはへて歸り侍るなり、そのこころを模す。
新字:同書に、和琴の事、或人語云、琴佐木は、長さ一寸八分、牛角にて作るなり。雁の胡国にかへる時、麦の葉をくはへて帰り侍るなり、そのこころを模す。
書き下し
同書に、和琴の事、或る人語りて云わく、琴さぎは、長さ一寸八分、牛角にて作るなり。雁の胡国にかえる時、麦の葉をくわえて帰り侍るなり、そのこころを模す。
現代語訳
同じ書に、和琴のことについて、ある人が語って言うには、琴軋(ことさぎ、弾くための爪)は長さ一寸八分で、牛の角で作る。雁が胡の国(北方の国)へ帰る時、麦の葉をくわえて帰るのである。その心をかたどったものである、とある。
解説
和琴を弾く道具「琴軋(ことさぎ)」についての『体源抄』の短い記事である。和琴は指や爪ではなく、細長いへら状の琴軋で絃をかき鳴らして弾く。その長さは一寸八分(約五・五センチ)、牛の角で作るという。北へ帰る雁が麦の葉をくわえて帰る姿をかたどったものだという説明は、道具の形に季節の風物を重ねた、いかにも楽人の家の伝えらしい話である。先に同じ巻で、和琴の六絃は岩戸の前で弓を並べて弾いたことに由来するという説も引かれていた。宣長はこうした細かな故実を丹念に拾い、和琴という日本固有の楽器の姿を確かめようとしている。小さな道具一つにも意匠と物語が込められていたことを伝える記事である。
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 和琴同記に云わく、同年九月十七日、大炊御門殿仰せられて云わく、和琴は、神楽の器なり。天照大神岩戸を出で給い候時、弓六張を並べてこれを弾く、これに依りて六絃有りと云云。
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『玉勝間』十一の巻 箏の皇朝に伝はれる事同書に、箏は、我が朝に伝わることは、仁明天皇の御時に、遣唐使の准判官、掃部頭貞敏、簾承武が娘に伝わると云う、或いは内教坊の妓女、命婦石川の色子、筑紫の彦の山にして、唐人にこれを伝えるとも見えたりと云えり。
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『玉勝間』八の巻 皮子体源抄に、篳築の名物を云える中に、皮子丸は、延喜の御門の御時、唐より、もろもろの重宝を入れて、奉られたりける、皮子の足に立たる竹管の、よきほどなりければ、とりて彫たりける、最上の物なりけるなり、当時伝わりて、宇治の宝蔵に有り、と見えたり。皮子と云う物の名ふるし。
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