玉勝間 / 十一の巻 箏の皇朝に伝はれる事
同書に、箏は、我朝に傳はることは、仁明天皇の御時に、遣唐使の准判官、掃部頭貞敏、簾承武が娘に傳ハルと云、或は内敎坊の妓女、命婦石川ノ色子、筑紫の彥の山にして、唐人にこれを傳ヘルとも見えたりと云へり。
新字:同書に、箏は、我朝に伝はることは、仁明天皇の御時に、遣唐使の准判官、掃部頭貞敏、簾承武が娘に伝ハルと云、或は内教坊の妓女、命婦石川ノ色子、筑紫の彦の山にして、唐人にこれを伝ヘルとも見えたりと云へり。
書き下し
同書に、箏は、我が朝に伝わることは、仁明天皇の御時に、遣唐使の准判官、掃部頭貞敏、簾承武が娘に伝わると云う、或いは内教坊の妓女、命婦石川の色子、筑紫の彦の山にして、唐人にこれを伝えるとも見えたりと云えり。
現代語訳
同じ書に、箏がわが国に伝わったのは、仁明天皇の御代に、遣唐使の准判官であった掃部頭藤原貞敏が、廉承武の娘から伝えられたのだという。あるいは、内教坊の妓女である命婦石川色子が、筑紫の彦山で唐人からこれを伝え受けたとも見える、と言っている。
解説
箏がどのようにして日本に伝わったかについて、『体源抄』の二つの説を引いた段である。一つは、承和の遣唐使に加わった藤原貞敏が、唐の楽人廉承武の娘から伝えられたという説である。貞敏は廉承武に琵琶を学び、秘曲を授かって帰国したことで知られるが、ここでは箏の伝来にも結びつけられている。もう一つは、宮中で舞楽を教習する内教坊の女性が、筑紫の彦山で唐人から学んだという説である。楽器の伝来には複数の伝えがあり、どれが正しいかを決めるのは難しい。宣長は判断を加えずに両説を並べているが、こうした異説を並べて残すことも、後の人が考えるための材料を整える仕事であった。一つの由来を鵜呑みにしない態度がうかがえる。
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