玉勝間 / 八の巻 皮子
體源抄に、篳篥の名物を云へる中に、皮子丸は、延喜ノ御門の御時、唐より、もろもろの重寶を入して、奉られたりける、皮子の足に立たる竹管の、よきほどなりければ、とりて彫たりける、最上の物なりけるなり、當時傳はりて、宇治の寶藏に有り、と見えたり。皮子と云ふ物の名ふるし。
新字:体源抄に、篳篥の名物を云へる中に、皮子丸は、延喜ノ御門の御時、唐より、もろもろの重宝を入して、奉られたりける、皮子の足に立たる竹管の、よきほどなりければ、とりて彫たりける、最上の物なりけるなり、当時伝はりて、宇治の宝蔵に有り、と見えたり。皮子と云ふ物の名ふるし。
書き下し
体源抄に、篳築の名物を云える中に、皮子丸は、延喜の御門の御時、唐より、もろもろの重宝を入れて、奉られたりける、皮子の足に立たる竹管の、よきほどなりければ、とりて彫たりける、最上の物なりけるなり、当時伝わりて、宇治の宝蔵に有り、と見えたり。皮子と云う物の名ふるし。
現代語訳
体源抄に、篳篥の名器を挙げた中に「皮子丸は、延喜の帝(醍醐天皇)の御代に、唐からいろいろな宝物を入れて献上された皮子(かわご)の足に立ててあった竹の管が、ちょうどよい太さだったので、取って彫ったもので、最上の品であった。今も伝わって、宇治の宝蔵にある」と見える。皮子というものの名は古い。
解説
皮を張った箱「皮子(かわご)」の名の古さを、雅楽の書の逸話から示した段である。体源抄は、室町時代に楽人の豊原統秋が著した雅楽の書で、楽器の名器やその由来が多く記されている。そこには、醍醐天皇の時代に唐から宝物を入れて献じられた皮子の足の竹管が、笛の材にちょうどよかったので篳篥に仕立てたところ最上の名器となり、「皮子丸」と名づけられて宇治の宝蔵に伝わったという話がある。宇治の宝蔵は、藤原頼通が平等院に設けた宝物の蔵で、名宝が収められていたことで知られる。宣長は、名器の逸話の面白さよりも、そこに「皮子」という器物の名が平安時代の話として見えることに目をとめている。皮子は江戸時代にも衣類などを入れる箱として使われていた。一つの名器の由来話から、日用の道具の名の歴史を引き出す、宣長らしい読み方である。
関連する章句
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