玉勝間 / 十一の巻 和琴
同記云、同年九月十七日、大炊御門殿被仰云、和琴、神樂器也。天照大神岩戶出給候時、弓六張ヲ並テ彈之、依之有六絃云云。
新字:同記云、同年九月十七日、大炊御門殿被仰云、和琴、神楽器也。天照大神岩戸出給候時、弓六張ヲ並テ弾之、依之有六絃云云。
書き下し
同記に云わく、同年九月十七日、大炊御門殿仰せられて云わく、和琴は、神楽の器なり。天照大神岩戸を出で給い候時、弓六張を並べてこれを弾く、これに依りて六絃有りと云云。
現代語訳
同じ記にこうある。同年九月十七日、大炊御門殿が仰せられるには、和琴は神楽の楽器である。天照大神が岩戸からお出ましになった時、弓を六張並べてこれを弾いた。これによって(和琴には)六本の絃があるのだ、とのことである。
解説
和琴の六絃の由来を、天の岩戸の神話に結びつける説を『康富記』から抜き書きした段である。和琴は大和琴・東琴とも呼ばれ、外来の箏と違って日本固有の楽器とされ、神楽や東遊の伴奏に欠かせない。弓を並べて弾いたのが始まりというのは、梓弓の弦を鳴らして神を招く弓の呪術とも響き合う伝えである。ただし古典に確かな根拠のある話ではなく、公家の家々に語り継がれた故実の一つである。宣長は評を加えずに写しているが、この巻では後段に神楽や楽の由来の記事が続いており、神事と音楽の結びつきに関心を寄せていたことがわかる。楽器の形そのものに神話を読み込んだ古人の感じ方がうかがえる。
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 琴さぎの事同書に、和琴の事、或る人語りて云わく、琴さぎは、長さ一寸八分、牛角にて作るなり。雁の胡国にかえる時、麦の葉をくわえて帰り侍るなり、そのこころを模す。
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