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玉勝間 / 六の巻 ほうしの笛をふく事

台記に、久安三年七月、法皇天王寺御幸の所に云はく、幸聖靈院云云、勅群臣奏管絃、勅日、笛資賢朝臣、笙内大臣、篳篥俊盛朝臣、但稱不堪、不吹之、琵琶信西、(通憲法名)箏覺邏、笛資賢朝臣、其實法皇親吹、但資賢時時吹、法皇曰、爲沙門吹笛、可招嘲、即居隱障子吹之、予猶近候、聞御笛音者、上下莫不歎美、御出家後、今夜初吹云云。これを見れば、此頃までも、法師は、管は吹かぬ事にせしなり。信西、覺邏、琵琶、等と有れば、絃はほうしも彈きたりしなり。昔は女も然かなりき。

新字:台記に、久安三年七月、法皇天王寺御幸の所に云はく、幸聖霊院云云、勅群臣奏管絃、勅日、笛資賢朝臣、笙内大臣、篳篥俊盛朝臣、但称不堪、不吹之、琵琶信西、(通憲法名)箏覚邏、笛資賢朝臣、其実法皇親吹、但資賢時時吹、法皇曰、為沙門吹笛、可招嘲、即居隠障子吹之、予猶近候、聞御笛音者、上下莫不嘆美、御出家後、今夜初吹云云。これを見れば、此頃までも、法師は、管は吹かぬ事にせしなり。信西、覚邏、琵琶、等と有れば、絃はほうしも弾きたりしなり。昔は女も然かなりき。

書き下し

台記に、久安三年七月、法皇天王寺御幸の所に云わく、聖霊院に幸す云云、群臣に勅して管絃を奏せしむ、勅して曰く、笛は資賢朝臣、笙は内大臣、篳篥は俊盛朝臣、但し不堪と称して、これを吹かず、琵琶は信西(通憲の法名)、箏は覚邏、笛は資賢朝臣、その実は法皇親ら吹く、但し資賢時々吹く、法皇曰く、沙門として笛を吹くは、嘲りを招くべし、即ち障子に隠れ居てこれを吹く、予なお近く候す、御笛の音を聞く者、上下歎美せざる莫し、御出家の後、今夜初めて吹く云云。これを見れば、この頃までも、法師は、管は吹かぬ事にせしなり。信西、覚邏、琵琶、箏と有れば、絃はほうしも弾きたりしなり。昔は女も然かなりき。

現代語訳

台記に、久安三年七月、法皇(鳥羽法皇)の天王寺御幸のところに、「聖霊院にお出ましになった、云々。群臣に勅して管絃を奏させた。勅して言うには、笛は資賢朝臣、笙は内大臣、篳篥は俊盛朝臣、ただし(俊盛は)不得手だと称してこれを吹かなかった。琵琶は信西(藤原通憲の法名)、箏は覚邏、笛は資賢朝臣。その実は法皇が自ら吹き、ただ資賢がときどき吹いた。法皇が言うには、僧の身で笛を吹いては嘲りを招くだろう、と。そこで障子の陰に隠れておいでになってこれを吹かれた。私はなお近くに控えていた。御笛の音を聞く者は、上下みな感嘆しないことはなかった。御出家の後、今夜初めてお吹きになった」云々とある。これを見ると、このころまでも法師は管楽器は吹かないことにしていたのである。信西、覚邏が琵琶、箏とあるので、弦楽器は法師も弾いたのである。昔は女もそうであった。

解説

出家した鳥羽法皇が、僧の身で笛を吹けば嘲りを招くと言って、障子の陰に隠れて笛を吹いたという話を、藤原頼長の日記台記から写した一段である。聞く者はみな感嘆したという。宣長はここから、当時の法師は管楽器、つまり吹く楽器は吹かないのが決まりで、琵琶や箏のような弦楽器は弾いてよかった、と読み取る。信西が琵琶を弾いているのがその証である。さらに、昔は女性も同じく弦は弾いても管は吹かなかった、と付け加える。楽器の種類によって、誰が奏でてよいかの区別があったのである。規則は明文よりも、それを破るまいとする人の振る舞いに現れる。一つの逸話から時代の決まりごとを引き出す、宣長らしい古記録の読み方である。

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