玉勝間 / 十一の巻 志摩国の名どころ
しまの國の事をしるせる、志陽略志と云ふ物に、苧生浦、今稱浦村。釋圓位曰、鳥羽以東二里、有江村、謂今浦本浦、其本浦者、苧生浦也云云。此地有七絕、曰不蒔麻、曰不鳴蛙、曰不刈蔣、曰片枝梨、曰石面鏡、曰逆流川、曰四季櫻、(在櫻崎)是也。或曰四季鷺也、未知孰是焉。また伊良湖崎、在伊良湖村。此地者、三河國渥美郡也。此地去神嶋二里、以近混志摩國。今其海者、志州之有也。また磯良崎、在桃取村、圓位曰、此島南突出之所、曰礒良崎也歟。また佐堤崎、謂坂手村也。或曰、倭姫世記所謂佐加太伎島者、今之坂手村也。
新字:しまの国の事をしるせる、志陽略志と云ふ物に、苧生浦、今称浦村。釈円位曰、鳥羽以東二里、有江村、謂今浦本浦、其本浦者、苧生浦也云云。此地有七絶、曰不蒔麻、曰不鳴蛙、曰不刈蒋、曰片枝梨、曰石面鏡、曰逆流川、曰四季桜、(在桜崎)是也。或曰四季鷺也、未知孰是焉。また伊良湖崎、在伊良湖村。此地者、三河国渥美郡也。此地去神嶋二里、以近混志摩国。今其海者、志州之有也。また磯良崎、在桃取村、円位曰、此島南突出之所、曰礒良崎也歟。また佐堤崎、謂坂手村也。或曰、倭姫世記所謂佐加太伎島者、今之坂手村也。
書き下し
しまの国の事をしるせる、志陽略志と云う物に、苧生浦、今浦村と称す。釈円位曰く、鳥羽より以東二里に、江村有り、今の浦本浦と謂う、その本浦は、苧生浦なりと云云。この地に七絶有り、曰く麻を蒔かず、曰く蛙鳴かず、曰く蔣を刈らず、曰く片枝の梨、曰く石面の鏡、曰く逆流の川、曰く四季の桜、(桜崎に在り)これなり。或いは曰く四季の鷺なりと、未だ孰れか是なるを知らず。また伊良湖崎、伊良湖村に在り。この地は、三河国渥美郡なり。この地神島を去ること二里、近きを以て志摩国に混ず。今その海は、志州の有なり。また磯良崎、桃取村に在り、円位曰く、この島の南に突き出づる所、礒良崎と曰うなるか。また佐堤崎、坂手村を謂うなり。或いは曰く、倭姫世記に所謂佐加太伎島は、今の坂手村なり。
現代語訳
志摩国のことを記した『志陽略志』という書に、こうある。苧生浦(おうのうら)は今は浦村という。僧円位が言うには、鳥羽から東へ二里のところに入江の村があり、今の浦・本浦といい、その本浦が苧生浦であるという。この地には七つの不思議がある。麻を蒔かないこと、蛙が鳴かないこと、蔣(まこも)を刈らないこと、片枝だけの梨、石の面の鏡、逆さに流れる川、四季の桜(桜崎にある)がこれである。あるいは四季の鷺だともいい、どちらが正しいかはまだわからない。また伊良湖崎は伊良湖村にある。この地は三河国渥美郡である。この地は神島から二里離れているだけなので、近さから志摩国と混同されている。今その海は志摩国の領分である。また磯良崎は桃取村にある。円位が言うには、この島の南に突き出た所を礒良崎というのであろうか。また佐堤崎は坂手村をいうのである。あるいは、『倭姫命世記』にいう佐加太伎島は今の坂手村である、ともいう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』九の巻 紀の国の名どころども東西五町に、南北六町ばかり有り。この二つの島を、浦のはつ島と云う。小為手の山は、在田の郡、山保田の庄に、推手村と云う有り、これか。その村は、伊都の郡の堺にて、山のおくなり。白崎は、日高の郡、衣奈の庄衣奈浦の東南の方に、衣奈の八幡と云う有る、その社の縁起に、白崎と云うこと見えたり。三穂の岩屋は、同郡三尾村の廿五町ばかり東南の海べに在り、岩屋の中に、石の観音の像あり、熊野道のうち、日高川塩屋浦のあたりより、西の海べに、一里ばかりの長き松原有りて、和田松原と云う、この岩屋は、その西の際なり。野島阿胡根の浦は、同郡塩屋浦の南に、野島の里あり、その海べを、あこねの浦と云いて、貝の多くよりて集まる所なり。切目山は、同郡熊野道の海べにて、切目坂、切目浦、切目村あり。山は村より一里ばかり東北なり。村の北に、切目の王子の社も有り。磐代は、同郡なり。切目を過ぎて、切目川有りて、次に磐代なり。西岩代東岩代とて村有り、岩代の王子の社、海べに有り。千里の浜は、岩代の南の辺より、南部までのあいだ、一里半ばかりの所を云う。
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『玉勝間』九の巻 紀の国の名どころども玉の浦は、那智山の下なる、粉白浦と云う所より、十町ばかり西南に有り。離小島と云えるは、玉の浦の南の海中に、ちりぢりに岩あれば、それを云えるなるべし。その外には島は無し。熊野の御崎は、那智山の下浜の宮よりゆく、海べの道を、大辺地と云う。その間に、上野村と云う有り。海中へ長くつき出でたる崎にて、塩の御崎とも、塩崎浦とも云えり。三前神社あり、少彦名の命を祭る。この所の海は、のぼり潮くだり潮とて、年を重ねて、片瀬に流れて、しおの満干にかかわらず、いと早く流るれば、海を渡る船人の、いたく恐るる所なり。有馬の村は、新宮より北の方へ、伊勢の方へ、五里ばかり行きて、木の本と云う所の、廿町ばかり南に有り。そこに産田の神社、又花の窟あり。里人訛りて、大般若の窟と云う。この窟の山、高さ廿四五間、周り三町ばかり有り。この窟は、伊邪那美の尊を葬り奉れる所と云うを、又或る説には、いざなみの尊を葬り奉れる所は、産田の神社にて、花の窟は火の神なりとも云えり。楯が崎は、木の本の庄二木島と云う所より、一里ばかり海中に有り。むかしはこの所、伊勢と紀の国の堺なりしと、里人云えり。錦の浦は、長島の庄長島村の、一里ばかり東なり。この地、むかしは志摩の国なりしとぞ。
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『玉勝間』十四の巻 伊勢国伊勢の国は、かた国のうまし国と古語にも云いて、北のはてより南のはてまで、西の方は山々つらなり続きて、まことに青垣を成せり。東の方は入海にて伊勢の海と云うこれなり。かくていずこもいずこも山と海との間、ひろく平原にして、北は桑名より、南は山田まで、二十里あまりがほど、山と云う物一つも越ゆる事無くひたつづきの国原なり。その間に、広き里々おおかる中に、山田、安濃津、松阪、桑名など、殊ににぎわわしく大きなる里なり。大かた京より江戸まで、七国八国を経てゆく間に、かばかりの大里は、近江の大津と、駿河の府をおきては有る事無し。外の国々も思いやらる。なお件の里々につぎて、四日市、白子などよき邑なり。かくてこの国、海の物、山野の物、すべて乏しからず。暑さ寒さも、他国にくらぶるに、さしも甚だしからず。但し寒さは、北の方へ寄るままに次第に寒し。風はよく吹く国なり。国のにぎわわしき事は、大御神の宮にもうずる旅人たゆる事無く、殊に春夏のほどは、いといとにぎわわしき事、大かた天の下にならび無し。土こえて、稲いとよし。たなつ物も畑つ物も、大かた皆よし。
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『玉勝間』十一の巻 みちのくの名所陸奥の国の事どもを記せる物に、宮城郡に利府村と云う有り、仙台より原町通り三里廿八町余あり。その利府村のならびなる高野村と云うに、とうが菅とて名菅あり。その村の田の中に、二三間四方垣を結いめぐらして、里の百姓、国主の命によりて、預り居るなり。古歌に「玉篠に霰たばしる音きけばいとどぞさゆるとうの菅ごもと云えり。また塩竈六社大明神、仙台より四里半ばかり有り。この国にて最大社なり、その宮の下に、塩焼竈と云うあり、大きなる円盆のごとし、この物の中に、つねに潮九分目ばかり有りて、いかなる旱にも減る事無く、また洪水のおりも増すこと無く、同じことなり。いとあやしき物なり。海ぎわより三四町ばかり離れて、市中石段の上いがきの内に、五つ並びてあり。もとは六つ有りしに、一つは海へ沈みしとぞ。その所を今釜が淵と云うなりと云えり。また名取川、仙台近き大道の内にて、中田の宿と長町の宿との間に有り、広さ四十六間ありと云えり。また緒絶川、仙台より南部へゆく大道にて、古川宿と荒谷の宿との間に有り、橋は長さ八間広さ二間と云えり。また桜川、同じ大道にて、一の関の宿と前沢宿との間に有りと云えり。
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『玉勝間』十の巻 出雲風土記意宇郡の名のゆゑをしるせる文但し出雲の国の大海の北の方には、隠岐の国の外には、国も島も在る事無ければ、上なる志羅紀の御崎に准うるに、もしくは上の佐伎之国も、この良波之国も、北の方なる異国の名にもや有らむ、なおよく考うべし。自宇波、(一本に、この下に縫の字あるは、衍なり。また上の自去豆と自多久との下には、乃の字あるを、ここにのみは、その字無し)この地の名は見えず。一本に、宇の字を、手と作るにつきて考うるに、手染なるべきか。島根の郡に手染の郷あり。すべてのさまをもて考うるに、ここは必ず上文の多久より東、下文の三穂之埼より西に有るべき所なれば、手染にて、地理もよくかなえり。打絶而は、打の字諸の本みな折と作れど、例によりて改めつ。闇見の国は、島根の郡に、久良弥の社また椋見の社見ゆ。ここはこれも、多久川より手染までの地を、広く云えるなり。高志は、越の国なり。都都乃三埼は、(一本には都乃三埼と有り、)さだかならず。和名抄に、能登の国羽咋の郡に、都知の郷、越後の国頸城の郡に、都宇の郷、神名帳に、越前の国敦賀の郡、また坂井の郡に、御前の神社などは有り、これらのうちにもや有らむ。なおよく尋ぬべし。三穂之埼は、島根の郡に見えて、東のはてなり。
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『玉勝間』九の巻 紀の国の名どころども上の件磯間の浦よりこなたは、皆むろの郡なり。そもそもこの紀の国は、古き名どころども多くして、万葉集にも、殊に多く見えたるを、世の人は、いずれの郡にありとだに、え知らぬ所々の多かるを、この国にては、かくれ無くて、皆人よく知れるなど、又さらぬも、書どもには、皆記るしたるが、見過しがたくて、その大かたを写し置きつる中に、確かならぬさまに聞こゆるをば、皆漏らして、さも有りぬべく覚ゆるかぎりを、それかれとえりいでて、記るせる程に、この巻は、すずろに紀の国の名所集のようにぞ成りぬる。なお式にのれる神社どもの御事をも、ことごとく記るしたるも有るを、そは又別にも記るしてむと思えば、ここにはみな漏らしつ。
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