玉勝間 / 十一の巻 強装束衣紋男の眉をぬき鬚をはさみ歯を染る事
同じ書にいはく。凡裝束の衣紋、上代は沙汰に及ばず、鳥羽院の御代より、强き裝束を用る故に、衣紋の沙汰出來ぬるなるべし。上代は皆大裝束とて、ふくさにて、强くは不調也。然而鳥羽院已前の人の影を書〃とて、鳥羽院已後初ャッたる、强裝束の衣紋を書たるは、繪師の不覺なり云云。凡彼ノ御代已前は、男眉の毛を拔き、鬚をはさみ、金を付る事一切無之、及末代每度矯飾の至ッ也。
新字:同じ書にいはく。凡装束の衣紋、上代は沙汰に及ばず、鳥羽院の御代より、強き装束を用る故に、衣紋の沙汰出来ぬるなるべし。上代は皆大装束とて、ふくさにて、強くは不調也。然而鳥羽院已前の人の影を書〃とて、鳥羽院已後初ャッたる、強装束の衣紋を書たるは、絵師の不覚なり云云。凡彼ノ御代已前は、男眉の毛を抜き、鬚をはさみ、金を付る事一切無之、及末代毎度矯飾の至ッ也。
書き下し
同じ書にいわく。およそ装束の衣紋、上代は沙汰に及ばず、鳥羽院の御代より、強き装束を用うる故に、衣紋の沙汰出で来ぬるなるべし。上代は皆大装束とて、ふくさにて、強くは調えざるなり。然れども鳥羽院已前の人の影を書くとて、鳥羽院已後初まりたる、強装束の衣紋を書きたるは、絵師の不覚なり云云。およそかの御代已前は、男眉の毛を抜き、鬚をはさみ、金を付くる事一切これ無し、末代に及びて毎度矯飾の至りなり。
現代語訳
同じ書(『海人藻芥』)にこうある。そもそも装束の衣紋(着付け)は、上代には取り沙汰されることはなく、鳥羽院の御代から、糊を強く張った強装束を用いるようになったので、衣紋のことが取り沙汰されるようになったのであろう。上代はみな大装束といって、柔らかい布地で、こわばらせて仕立てることはしなかった。それなのに、鳥羽院以前の人の肖像を描くのに、鳥羽院以後に始まった強装束の衣紋を描いているのは、絵師の不注意である、とのことである。およそその御代より前には、男が眉の毛を抜き、鬚を刈り込み、歯に鉄漿(かね)を付けることは一切なかった。後の世になって、そのたびに飾り立てが極まったのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 中間と云ふものの事永仁三年にしるせる、布衣記と云うふみに、云云若党中間、跡に上下着て召し具す、また中間の事、折烏帽子小結常なり染直垂に大帷を重ね、袴には大口をかさね云云など云えり。然れば中間と云うもの、昔のは、今の世に云うとは、異なるものなりけむ。
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『玉勝間』八の巻 御家の文と云へる事同じふみに、きょうの使は徳大寺の中将公〓なり云云、もえぎの下がさね、御家の文のもこうを、色々におりたりしにや云云。
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『玉勝間』十四の巻 婦女の髪の制書紀に、天武天皇十一年四月、詔して曰く、今より以後、男女悉く髪を結え云云、六月丁卯、男女始めて髪を結い、仍りて漆紗冠を着く。また十三年閏四月云云、又詔して曰く云云、女の年四十以上は、髪の結うと結わざると、及び馬に乗ること縦横なるとは、並びに意に任せよ。別に巫祝の類は、結髪の例に在らず。また朱鳥元年七月、勅して更に男夫は脛裳を着け、婦女は髪を背に垂るること、なお故の如くせよとある。この朱鳥元年の勅は、天皇大御病し給いて、くさぐさの御祈り事ありしほどなれば、この女の髪の事も、神代よりの風を改め給える事を、畏み給いてにや有りけむ。かくて又続紀に、慶雲二年十二月、天下の婦女をして、神部・斎宮の宮人、及び老嫗に非ざるよりは、皆髻髪せしむ(語は前紀に在り、是に至りて重ねて制す)かくあれども、この御制ついに行われざりしとおぼしくて、中昔にもすべて垂れたりき。然るに近き代になりては、又みな髻なるは、いつのほどよりの事にか有らむ。
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『玉勝間』七の巻 直綴と云ふ衣今の世に、直綴と云う法衣あり。同書延文二年四月のところに、この名見えたり。また同四年四月十五日、公賢の大臣のかしらおろし給う所にも、直衣を脱ぎ、次に法衣を着る、墨染の大直綴なり。その色濃しと見ゆ。
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