玉勝間 / 十一の巻 定家ノ卿の手を悪筆と云へる事
海人藻芥に、定家卿と云ふ名人の手跡、以外の惡筆なり。然れども明月記と云ふ名譽の記錄六合、皆自筆なり。相搆てさりぬべき人は、僧俗ともに、いかに惡筆なりとも、自筆に書て、文章を惡からぬ樣に書連べきなり。用他筆は、太無念なる事なるべしと云へり。そもそも定家、卿の手を、惡筆なりと云へる、いと珍らしく、あやしき事なり。今の世の人は、すべてわれがしこに、かくさまに物を云ひおとすたぐひ、常の事なれど、これはさるたぐひとは聞えず。そのかみの世の人のさだめには、まことに惡としたりしにこそ。
新字:海人藻芥に、定家卿と云ふ名人の手跡、以外の悪筆なり。然れども明月記と云ふ名誉の記録六合、皆自筆なり。相搆てさりぬべき人は、僧俗ともに、いかに悪筆なりとも、自筆に書て、文章を悪からぬ様に書連べきなり。用他筆は、太無念なる事なるべしと云へり。そもそも定家、卿の手を、悪筆なりと云へる、いと珍らしく、あやしき事なり。今の世の人は、すべてわれがしこに、かくさまに物を云ひおとすたぐひ、常の事なれど、これはさるたぐひとは聞えず。そのかみの世の人のさだめには、まことに悪としたりしにこそ。
書き下し
海人藻芥に、定家卿と云う名人の手跡、以外の悪筆なり。然れども明月記と云う名誉の記録六合、皆自筆なり。相構えてさりぬべき人は、僧俗ともに、いかに悪筆なりとも、自筆に書きて、文章を悪しからぬように書き連ぬべきなり。他筆を用うるは、はなはだ無念なる事なるべしと云えり。そもそも定家卿の手を、悪筆なりと云える、いと珍しく、あやしき事なり。今の世の人は、すべてわれがしこに、かくさまに物を云いおとすたぐい、常の事なれど、これはさるたぐいとは聞こえず。そのかみの世の人のさだめには、まことに悪しとしたりしにこそ。
現代語訳
『海人藻芥』に、「定家卿という名人の筆跡は、思いのほかの悪筆である。しかし『明月記』という名高い記録六箱分は、すべて自筆である。心して、しかるべき立場の人は、僧も俗人も、どんなに悪筆であっても自筆で書き、文章を見苦しくないように書き連ねるべきである。他人の筆を用いるのは、はなはだ残念なことであろう」と言っている。そもそも定家卿の筆跡を悪筆だと言っているのは、たいへん珍しく、不思議なことである。今の世の人は、みな自分が賢いつもりで、このように人のことを悪く言うのが常であるが、これはそういう類とは聞こえない。その当時の世の人の評価では、本当に悪筆とされていたのであろう。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』十の巻 定家ノ中納言の詩明月記、建仁元年十月、上皇熊野御幸の供奉の所に、十五日午の時ばかり、発心門に着き、南無房の宅に宿る。この道の間、常に筆硯を具せず、また思う所有りて、未だ一事をも書かず。この門の柱に、始めて詩一首を書く、(角柱を異にす、閑所なり)慧日の光の前に罪根を懺い、大悲の道の上の発心門、南山の月の下の結縁の力、西刹の雲の中に旅魂を弔う。
-
『玉勝間』六の巻 手書く事よろずよりも、手はよく書かまほしきわざなり。歌詠み学問などする人は、ことに手悪しくては、心おとりのせらるるを、それ何かは苦しからんと云うも、一わたりことわりは然る事ながら、なおあかず、うち合わぬ心地ぞするや。のり長いとつたなくて、常に筆とるたびに、いと口惜しゅう、云うかいなく覚ゆるを、人の乞うままにおも無く短冊一ひらなど、書き出でて見るにも、我ながらだに、いとかたわに見苦しゅう、かたくななるを、人いかに見るらんと、はずかしく胸いたくて、若かりしほどに、などて手習いはせざりけむと、いみしゅうくやしくなん。
-
『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事古は、かたえの人も、皆心明らかなりしかば、いかに書きても、読みたがうる事無かりしかばこそ有れ、今の世は、みずからこそ心得たらめ、かたえの人は、心得たらねば、ともすれば、読みたがえ、写しひがむるたぐいのみ多かれば、いかにももの書くには、心すべきわざぞと、おのれは思いとりてぞ在る。さればおのが癖にて、つねに物書くに、読みたがえやせん、写しひがめやせんとのみ、心するほどに、もとよりいといと拙き手をいとどしじかみて、かたわには有るなり。また古言などは、殊に人の読みたがえ、誤る事多きを、いかであやまらず、正しく読ましめんとする程に、さらでも有るべき所にも、度ごとに仮字づけしなどして、心高き人には、わらわるるを、みずからも且つは知りながら、しみつきたる癖は、世に離れがたきわざになん。
-
『玉勝間』十二の巻 俊成卿定家卿などの歌を悪しく云ひなす事近き頃、万葉ぶりの歌をものするともがら、みだりに心高き事を云いて、俊成の卿定家の卿などの歌をば、いたく拙きようにたやすげに云いおとすなるは、世の歌よみどもおしなべて、神のごと尊みかしこむを、ねたみて、あながちに云いくたさむとする、みだり事なり。そもそもこの卿たちの歌、悪しき事も、絶えて無きには有らざめれど、すべてのよう、古えより世々のあいだに、ぬけ出でたるところ有りて、まことにいとめでたし。然云いおとすともがら、いかに詠むとも、あしもとへ寄る事あたわじをや。
-
『玉勝間』六の巻 書うつし物書く事ふみを写すに、同じくだりのうち、或るはならべるくだりなどに、同じ詞の有る時は、見まがえて、そのあいだなる詞どもを、写し漏らす事、常によく有るわざなり。また一ひらと思いて、二ひら重ねてかえしては、その間の一ひらを、みながら落とすことも有り。これら常に心すべきわざなり。またよく似て、見まがえやすき文字などは、殊にまがうまじく、たしかに書くべきなり。これは写しがきのみにもあらず、おおかた物書くに、心得べき事ぞ。すべて物を書くは、事のこころをしめさむとてなれば、おうなおうな文字さだかにこそ書かまほしけれ。さるをひたすら、筆のいきおいを見せむとのみしたるは、いかなる事とも、読み解きがたきが、世に多かる、あじきなきわざなり。常に書きかわす、消息文なども、文字読みがたくては、云いやるすじ、ゆきとおらず、読む人はた苦しみて、かしらかたぶけつつ、かえさい読めども、ついに読み得ずなどしては、ここ読みがたしと、かえし問わんも、さすがに無体しきようなれば、ただおしはかりに心得ては、事たがいもするぞかし。
-
『玉勝間』九の巻 新勅撰集の事同書に、文暦元年十一月九日、中納言入道(定家卿)前関白家に於て、新勅撰(先院の御時奏覧せらる)を捜覧す、両殿下監せらる、頗る用捨の事有り、百首を切り棄てらると云云、又入れらるるの人有りと云云。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る