論語 / 憲問篇
子曰:「不患人之不己知,患其不能也。」
書き下し
子曰く、人の己を知らざるを患えず、其の能わざるを患う。
現代語訳
先生がおっしゃった。「人が自分を認めてくれないことを気に病まない。自分にその能力がないことを気に病む。」
解説
学而篇の同趣旨の言葉より、こちらのほうが直接的である。認められないことを嘆く代わりに、自分の実力不足を嘆け、と。関心の向け先を、外から内へ切り替える指示になっている。この切り替えには実利がある。他人の評価は自分では動かせないが、自分の能力は動かせる。動かせないものを気に病む時間は、そのまま損失になる。ただし、この教えを表面的に受け取ると、単なる精神論になる。要点は、評価されない理由を実力に求めることで、行動が具体的になる点にある。認められないと嘆いている限り、次の一手は出てこない。何ができていないのかを特定すれば、明日やることが決まる。孔子が繰り返しこの主題に触れたのは、弟子たちが繰り返し不遇を嘆いたからでもあるだろう。
この章句が説くこと
評価実力内省不遇行動
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