説苑 / 善說
齊景公謂子貢曰:「子誰師?」曰:「臣師仲尼?」公曰:「仲尼賢乎?」對曰:「賢。」公曰:「其賢何若?」對曰:「不知也。」公曰:「子知其賢而不知其奚若,可乎?」對曰:「今謂天高,無少長愚智皆知高,高幾何?皆曰不知也,是以知仲尼之賢而不知其奚若。」
新字:斉景公謂子貢曰:「子誰師?」曰:「臣師仲尼?」公曰:「仲尼賢乎?」対曰:「賢。」公曰:「其賢何若?」対曰:「不知也。」公曰:「子知其賢而不知其奚若,可乎?」対曰:「今謂天高,無少長愚智皆知高,高幾何?皆曰不知也,是以知仲尼之賢而不知其奚若。」
書き下し
齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」
現代語訳
斉の景公が子貢に言った。『あなたは誰を師としているのか。』子貢は言った。『私は仲尼(孔子)を師としております。』景公は言った。『仲尼は賢者なのか。』子貢は答えた。『賢者です。』景公は言った。『その賢さはどれほどのものか。』子貢は答えた。『分かりません。』景公は言った。『あなたはその人が賢者であることを知っていながら、どれほど賢いかを知らないというのは、そんなことがあってよいのか。』子貢は答えた。『たとえば「天は高い」と言うとき、老いも若きも愚かな者も賢い者もみな天が高いことを知っています。しかしそれがどれほどの高さかと問えば、誰もが「分からない」と答えるでしょう。それと同じで、仲尼が賢者であることは知っていても、その賢さがどれほどのものかは分からないのです。』
解説
賢者であるかどうかという定性的な判断と、その賢さの程度という定量的な計測は本来別次元の問いであるにもかかわらず、景公はそれを同一視して子貢を追及した。子貢は「天の高さ」という誰もが認めながら誰も測れない対象を引き合いに出し、偉大さを認識することと、それを数値化・言語化して説明し尽くすこととは別物であると論証した。優れた人物や物事の価値を、無理に序列化・数値化しようとする態度への痛烈な批判として、評価や査定に偏りがちな現代にも響く一章である。
この章句が説くこと
評価測定不能謙虚
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