史記 / 管晏列伝
鮑叔既進管仲、以身下之。子孫世祿於齊、有封邑者十餘世、常為名大夫。天下不多管仲之賢而多鮑叔能知人也。
新字:鮑叔既進管仲、以身下之。子孫世禄於斉、有封邑者十余世、常為名大夫。天下不多管仲之賢而多鮑叔能知人也。
書き下し
鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
現代語訳
鮑叔は管仲を推挙したうえ、自分は進んでその下の地位に身を置いた。鮑叔の子孫は代々斉で俸禄を受け、領地を持つ者が十数代も続き、いつも名だたる大夫として遇された。そして世の人々は、管仲の賢さよりもむしろ、鮑叔の「人を見抜く力」の方をこそ高く称えたのである。
解説
歴史の評価が、スター(管仲)ではなく、その後ろ盾(鮑叔)に向かったという象徴的な結びです。しかも鮑叔の家は十数代にわたり栄えました。ここに二つの示唆があります。第一に、優れた人材を見出し、自分より上に立てて支える「支援者・目利き」の貢献は、本人が目立たなくても、長期的には組織に絶大な価値をもたらし、正当に評価されうるということ。第二に、鮑叔が「身を以て之に下る」――功を譲り、自ら一歩引いた姿勢です。ナンバーワンになることより、最適な人材をトップに据えて全体を勝たせることを選んだ。経営者や幹部にとって、自分の手柄を誇るより、適した人を活かして成果を最大化する方が、結局は自他ともに長く報われる、という教訓です。
この章句が説くこと
評価後ろ盾謙譲目利きの価値長期的信頼功を譲る
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