玉勝間 / 十一の巻 皇極経世書と云ふからぶみの説
もろこしに、宋と云ひし代に、邵康節とて、名高き物知り人のあらはせる、皇極經世書と云ふふみに、天地の始終リを、一日の夜晝の如くめぐる物とし、元會運世歲月日辰と、八層に積みかさねて、そを一めぐりとし、その一元の間の年の數、十二萬九千六百歳と定めたり。そは何を以て、さは定めたるぞと云ふに、一日の辰の數と、一年の月の數との十二と、一月の日の數と、一世の年の數との三十とをもて、互ひにつぎつぎにつみ累ねて、はかりたる物にして、是れを自然の數なりと云へり、今思ふに、此說すべて信がたし。まづ一日の辰の數、一年の月の數、たまたま十二、一月の日の數、一世の年の數、たまたま三十なればとて、世運會をも、其數をもて累ぬべき由は無きを、殊に一日の辰の數を、十二と定めたるは、人のしわざにこそあれ。實に十二なるしるしは無ければ、幾つにきざみても、同じ事なり。又三十年を一世とするも、人のしわざにて、實に其しるしは有る事無し。然れば十二と云ふ據り所は、唯だ一年の月の數のみなり。三十の據り所も、唯だ一月の日の數のみなるを、餘をも、おして其數を以て定めたるは、いといと妄ならずや。如何でかこれを自然の數とは云ふべき。
新字:もろこしに、宋と云ひし代に、邵康節とて、名高き物知り人のあらはせる、皇極経世書と云ふふみに、天地の始終リを、一日の夜昼の如くめぐる物とし、元会運世歳月日辰と、八層に積みかさねて、そを一めぐりとし、その一元の間の年の数、十二万九千六百歳と定めたり。そは何を以て、さは定めたるぞと云ふに、一日の辰の数と、一年の月の数との十二と、一月の日の数と、一世の年の数との三十とをもて、互ひにつぎつぎにつみ累ねて、はかりたる物にして、是れを自然の数なりと云へり、今思ふに、此説すべて信がたし。まづ一日の辰の数、一年の月の数、たまたま十二、一月の日の数、一世の年の数、たまたま三十なればとて、世運会をも、其数をもて累ぬべき由は無きを、殊に一日の辰の数を、十二と定めたるは、人のしわざにこそあれ。実に十二なるしるしは無ければ、幾つにきざみても、同じ事なり。又三十年を一世とするも、人のしわざにて、実に其しるしは有る事無し。然れば十二と云ふ拠り所は、唯だ一年の月の数のみなり。三十の拠り所も、唯だ一月の日の数のみなるを、余をも、おして其数を以て定めたるは、いといと妄ならずや。如何でかこれを自然の数とは云ふべき。
書き下し
もろこしに、宋と云いし代に、邵康節とて、名高き物知り人のあらわせる、皇極経世書と云うふみに、天地の始め終りを、一日の夜昼の如くめぐる物とし、元会運世歳月日辰と、八層に積みかさねて、そを一めぐりとし、その一元の間の年の数、十二万九千六百歳と定めたり。そは何を以て、さは定めたるぞと云うに、一日の辰の数と、一年の月の数との十二と、一月の日の数と、一世の年の数との三十とをもて、互いにつぎつぎにつみ重ねて、はかりたる物にして、これを自然の数なりと云えり、今思うに、この説すべて信じがたし。まず一日の辰の数、一年の月の数、たまたま十二、一月の日の数、一世の年の数、たまたま三十なればとて、世運会をも、その数をもて重ぬべき由は無きを、殊に一日の辰の数を、十二と定めたるは、人のしわざにこそあれ。実に十二なるしるしは無ければ、幾つにきざみても、同じ事なり。また三十年を一世とするも、人のしわざにて、実にそのしるしは有る事無し。然れば十二と云う拠り所は、ただ一年の月の数のみなり。三十の拠り所も、ただ一月の日の数のみなるを、余をも、おしてその数を以て定めたるは、いといと妄ならずや。いかでかこれを自然の数とは云うべき。
現代語訳
中国の宋という時代に、邵康節という名高い学者が著した『皇極経世書』という書では、天地の始めと終わりを、一日の夜と昼のように巡るものとし、元・会・運・世・歳・月・日・辰と八層に積み重ねて、それを一巡りとし、その一元の間の年数を十二万九千六百年と定めている。それは何によってそう定めたのかというと、一日の辰(時刻)の数と一年の月の数である十二と、一月の日数と一世の年数である三十とを、互い違いに次々に掛け重ねて計算したもので、これを自然の数だと言っている。今考えてみると、この説はまったく信じがたい。まず、一日の辰の数と一年の月の数がたまたま十二で、一月の日数と一世の年数がたまたま三十だからといって、世・運・会までもその数で重ねるべき理由はない。とりわけ一日の辰の数を十二と定めたのは、人のしたことである。本当に十二であるという証拠はないのだから、いくつに刻んでも同じことである。また三十年を一世とするのも人のしたことで、実際にそういう証拠があるわけではない。そうであれば、十二という拠り所は一年の月の数だけである。三十の拠り所も一月の日数だけであるのに、他のものまで無理にその数で定めたのは、まことにでたらめではないか。どうしてこれを自然の数と言えようか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 皇極経世書と云ふからぶみの説また辰より元までの八層も、八の数よりどころ無ければ、これも十二層にしても、なお多くいく層積みても、同じ事なるを、八層にしもとじめたるは、辰日月歳の四つにならいて、その上をもまた四つかさねたる物にして、世運会元と云うは、わたくしに造りたる物にこそあれ、実にさる定まりは有ること無し。またかの十二の数をば、十二支を以て、子に始まり亥に終るなど云えれども、然らば三十の数も、さる事あるべき物なるに、三十には配当る物なきもおかし、すべてかかる浅はかなる事どもを以て、いかでか天地の始め終りを測る事を得む。いともいともおおけなく、拙なく愚かなる事にぞ有りける。いわゆる理学家の説は、大かたこうようのおかしき事のみぞ多かる。然るをその後の世々のもの知り人どもの、この説をいたく称えて、洞に天地の運化を見明らめたるごと云いあえるも、またいと愚かなる事ぞかし。すべて仏ぶみの説のごとく、人の目に見ぬうしろの事を云うは、いかにも云わるる物にて、易きわざなるを、ただその説の理の、さも有らむと覚ゆるを、人は信ずるならいなれども、人の智もてはかりたる理は、思いのほかにたがう事有れば、さらに信みがたし。
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『玉勝間』十一の巻 皇極経世書と云ふからぶみの説この天地の始終の説も、仏ぶみの説と同じ事にて、人の見る事なきものなれば、そらに理を考えて云わむには、いかにも造り云うべけれども、そはその始め終りの時に生まれあいて、まさしく見ずは、その説のあたれる事は、いかでかは知らむとする。
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『慎思録』巻之二邵子は天地の始終闔闢を言ふ。一元の数終はりて復た始まる。是れ前聖の未だ言はざる所の者なり。然れども其の理或いは然らん。此を以て之を推すに、開闢の前にも亦た天地有り。其の一元の数も、亦た猶ほ今の天地の数のごとし。前の天地の中に万物有るも、亦た猶ほ今の有る所のごとし。再び開闢するの後にも亦た天地万物有ること、恰も今の天地万物有るが如く然り。前後一元の数、同じく終はりて復た始まること、幾回なるかを知らず。蓋し天地万物には一定の理有り、万古変化するも、不易の道有り。故に万闔万闢すと雖も、天地人物の異ならざること、恰も今の天地の如し。此れ臆度の言にして、証験無しと雖も、理を以て之を推すに、恐らくは当に此くの如くなるべし。頃ろ薛敬軒の書を見るに、其の説く所の意も亦た此くの如し。
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『慎思録』巻之二邵子は十二会を以て天地の始終を説く。其の説は象罔に似たりと雖も、然れども識者は数を以て考ふる所、理或いは然らん。楊升菴は口を極めて邵子の説を誹る者なり。予も亦た敢へて信ぜず。凡そ万物には皆始終有り。天地も亦た一物なるのみ。豈に始終無からんや。予嘗て高山の上に蚌蠣の殻有りて巨石に附くを見る。是れ前の天地の物、消滅せざるなり。此に天地と雖も、亦た変易生滅有ることを知るなり。
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『淮南子』天文訓古の度量輕重を為すは、天道に生ず。黃鐘の律は脩さ九寸、物は三を以て生ず。三九二十七、故に幅の廣さ二尺七寸。音は八を以て相い生ず。故に人の脩さ八尺、尋は自ら倍す。故に八尺にして尋と為す。形有れば則ち聲有り。音の數は五、五を以て八に乘ずれば、五八四十。故に四丈にして匹と為す。匹なる者は、中人の度なり。一匹にして制と為す。秋分に蔈定まり、蔈定まりて禾熟す。律の數は十二。故に十二蔈にして一粟に當たり、十二粟にして一寸に當たる。律は以て辰に當たり、音は以て日に當たる。日の數は十。故に十寸にして尺と為し、十尺にして丈と為す。其の以て量と為すや、十二粟にして一分に當たり、十二分にして一銖に當たり、十二銖にして半兩に當たる。衡に左右有り、因りて之を倍す。故に二十四銖を一兩と為す。天に四時有り、以て一歲を成す。因りて之を四すれば、四四十六。故に十六兩にして一觔と為す。三月にして一時と為し、三十日を一月と為す。故に三十觔を一鈞と為す。四時にして一歲と為す。故に四鈞を一石と為す。其の以て音と為すや、一律にして五音を生じ、十二律にして六十音と為る。因りて之を六すれば、六六三十六。故に三百六十音、以て一歲の日に當たる。故に律曆の數は、天地の道なり。下生する者は倍し、三を以て之を除く。上生する者は四し、三を以て之を除く。
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『淮南子』天文訓斗杓を小歲と為し、正月寅に建ち、月ごとに左に從いて十二辰を行く。咸池を太歲と為し、二月卯に建ち、月ごとに右に從いて四仲を行き、終わりて復た始まる。太歲は迎うる者は辱められ、背く者は強く、左する者は衰え、右する者は昌んなり。小歲は東南すれば則ち生じ、西北すれば則ち殺す。迎う可からずして背く可きなり、左す可からずして右す可きなり。其れ此の謂いなり。大時なる者は、咸池なり。小時なる者は、月建なり。天維元を建つるは、常に寅を以て始起し、右に徙りて一歲にして移り、十二歲にして大いに天を周り、終わりて復た始まる。淮南元年の冬、太一は丙子に在り、冬至は甲午、立春は丙子なり。二陰一陽は氣二を成し、二陽一陰は氣三を成す。氣を合わせて音と為し、陰を合わせて陽と為し、陽を合わせて律と為す。故に五音六律と曰う。音は自ら倍して日と為り、律は自ら倍して辰と為る。故に日は十にして辰は十二なり。月は日に十三度と七十六分度の二十六を行き、二十九日と九百四十分日の四百九十九にして月と為し、十二月を以て歲と為す。歲に餘り十日と九百四十分日の八百二十七有り。故に十九歲にして七たび閏す。日は冬至に子午、夏至に卯酉。冬至に三日を加うれば、則ち夏至の日なり。歲ごとに六日を遷し、終わりて復た始まる。
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