玉勝間 / 十一の巻 人のうまるるはじめ、死て後の事
人の生れ來るはじめ、又死て後、如何なるものぞと云ふ事、誰れも心にかけて、明らめ知らまほしくするならひなるを、佛ぶみに說たる、生死の趣、心性のさだ、いと委しきやうなれど、皆人の考へたる、作り事なれば、よく悟りあきらめたらむも、つひに何の用も無き、いたづらわざなり。唯だ儒者の說に、死て身ほろびぬれば、心神もともに消うせて、殘る事無しと云へるぞ、よく思ひめぐらせば、眞にさるべきことわりとは聞えたる。然はあれども、これも又賴み難し。すべて物の理は限り無きものにて、火の色は赤きに、所燒たる物は、黑くなり、又灰になれば、白くこそなれ。すべて斯く思ひのほかなる事有て、思ひはかれるとは、いたくたがへる事の多ければなり。されば人の死て後のやうも、更に人の智もて、一わたりのことわりによりて、はかり知るべきわざには有らず、思ひのほかなるものにぞ有べき。これを思ふにも、皇國の神代の神のつたへ說に、夜見國にまかると云へるこそ、いといと尊けれ。から國のことわり深げなる、さかしき說どもは、中中にいとあさはかなる事なりかし。
新字:人の生れ来るはじめ、又死て後、如何なるものぞと云ふ事、誰れも心にかけて、明らめ知らまほしくするならひなるを、仏ぶみに説たる、生死の趣、心性のさだ、いと委しきやうなれど、皆人の考へたる、作り事なれば、よく悟りあきらめたらむも、つひに何の用も無き、いたづらわざなり。唯だ儒者の説に、死て身ほろびぬれば、心神もともに消うせて、残る事無しと云へるぞ、よく思ひめぐらせば、真にさるべきことわりとは聞えたる。然はあれども、これも又頼み難し。すべて物の理は限り無きものにて、火の色は赤きに、所焼たる物は、黒くなり、又灰になれば、白くこそなれ。すべて斯く思ひのほかなる事有て、思ひはかれるとは、いたくたがへる事の多ければなり。されば人の死て後のやうも、更に人の智もて、一わたりのことわりによりて、はかり知るべきわざには有らず、思ひのほかなるものにぞ有べき。これを思ふにも、皇国の神代の神のつたへ説に、夜見国にまかると云へるこそ、いといと尊けれ。から国のことわり深げなる、さかしき説どもは、中中にいとあさはかなる事なりかし。
書き下し
人の生まれ来るはじめ、また死にて後、いかなるものぞと云う事、誰も心にかけて、明らめ知らまほしくするならいなるを、仏ぶみに説きたる、生死の趣、心性のさだ、いと委しきようなれど、皆人の考えたる、作り事なれば、よく悟りあきらめたらむも、ついに何の用も無き、いたずらわざなり。ただ儒者の説に、死にて身ほろびぬれば、心神もともに消えうせて、残る事無しと云えるぞ、よく思いめぐらせば、真にさるべきことわりとは聞こえたる。然はあれども、これもまた頼み難し。すべて物の理は限り無きものにて、火の色は赤きに、焼けたる物は、黒くなり、また灰になれば、白くこそなれ。すべてかく思いのほかなる事有りて、思いはかれるとは、いたくたがえる事の多ければなり。されば人の死にて後のようも、さらに人の智もて、一わたりのことわりによりて、はかり知るべきわざには有らず、思いのほかなるものにぞ有るべき。これを思うにも、皇国の神代の神のつたえ説に、夜見国にまかると云えるこそ、いといと尊けれ。から国のことわり深げなる、さかしき説どもは、なかなかにいとあさはかなる事なりかし。
現代語訳
人が生まれて来る始まり、また死んだ後がどのようなものかということは、誰もが心にかけて、はっきり知りたいと思うのが常であるが、仏典に説いている生死の有様や心性の論は、たいへん詳しいようではあっても、みな人が考え出した作り事であるから、よく悟って明らかにしたとしても、結局は何の役にも立たない無駄なことである。ただ儒者の説に、死んで身が滅びれば心も魂もともに消え失せて、何も残らないと言っているのは、よく思い巡らしてみると、本当にそうあるべき道理だと聞こえる。そうではあるが、これもまた頼りにしがたい。すべて物の道理は限りのないもので、火の色は赤いのに、焼けた物は黒くなり、また灰になれば白くなる。すべてこのように思いのほかのことがあって、人が推し量ったこととは大きく違うことが多いからである。だから人の死後の有様も、決して人の知恵で、ひととおりの理屈によって推し量り知ることのできるものではなく、思いのほかのものであるに違いない。これを思うにつけても、わが国の神代の神の伝えに、死ねば黄泉国へ行くと言っていることこそ、まことに尊い。中国の、理が深そうな小賢しい説の数々は、かえってたいへん浅はかなことである。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』五の巻 あやしき事の説さるにこの人と云いし物、ある時いたくなやみて、ようように重りて行くほどに、ついにかのよろずのしわざ皆やみて、いささか動く事もせず成りて止みにき、と記したらむ書を、儒者の見たらむには、例の信ぜずして、神代ならんからに、いずこのさるあやしき事か有るべき。すべてすべて理も無く、つたなき寓言にこそは有れ、とぞ云わむかし。
-
『玉勝間』十一の巻 皇極経世書と云ふからぶみの説この天地の始終の説も、仏ぶみの説と同じ事にて、人の見る事なきものなれば、そらに理を考えて云わむには、いかにも造り云うべけれども、そはその始め終りの時に生まれあいて、まさしく見ずは、その説のあたれる事は、いかでかは知らむとする。
-
『玉勝間』五の巻 また又上のくだり、人と云いて、神代に有りし物の、生まるるはじめを記して、この人と云いける物の、出で来しようは、まずはじめ某の国に、男女住みける。その男女、夜ねたりし程に、しかじかのわざをしたりしに、女の腹なん、ようようにふくらかになりて、十月と云う頃おい、腹いたく覚えて、にわかにまえより、何にかあらん、動きて啼くものぞ出で来にける。とりあげて見ければ、云云の物になん有りける。またはじめ、腹のふくらかになりつる程よりして、胸乳より白き汁の出でそめて、たえず出でけるを、かの出で来て啼く物の、声のいずる孔にあてて、くくめしかば、心地よげにのむままに、よるひると云わず飲ませつつ、月日をふるままに、その物、ようように大きになりゆきて、初めの程はせざりしわざどもも、ようようにしいでてなむ、上の件に云えるようにはなれりける、としるしたらんを、儒者見てば、又何とか云わむとする。例の、寓言とぞ云うべき。すべて神代の事どもも、今は世にさる事の無ければこそ、あやしとは思うなれ。今も有らましかば、あやしとは思わましや。今世に有る事も、今有ればこそ、あやしとは思わね、つらつら思いめぐらせば、世の中にあらゆる事、なに物かはあやしからざる。云いもてゆけば、あやしからぬは無きぞとよ。
-
『玉勝間』五の巻 漢籍と神ノ御典とのけぢめからぶみの説は、いとかしこくは聞ゆれども、人のさとりは限りし有れば、及ばぬところ有りて、かの人のたくみをもて、人を作らんとすれども、ついに作り得ることあたわざるがごとくなるを、神代の伝えごとは、かの閨の内の態の、見る目ははかなく愚かなれども、よく人を造りなすに同じきをや。このふたつを思いわたして、神世の事どもの、うわべは、なにのことわり有りげも無く、はかなくおろかに聞こゆれども、まことには、人の智の及びがたくはかりがたき、深き理のそなわりたんめる事を、さとりねかしとぞ。
-
『玉勝間』四の巻 人のうせたる後のわざ人の死にたる後のわざ、上つ代にはいかに有りけむ。神代に天若日子の身うせにし時、八日八夜遊ぶと有りて、楽して遊びし事などの、わづかに見えたるのみにして、こまかなる事は、すべて知りがたし。ただし音楽して遊びし事は、なべての定まりなり。そのよしは古事記伝に云えるが如し。さて死を穢とする事は、神代より然り。されどそれも、日数のかぎりの定まりしは、後なるべし。また忌服は、から国をまねびたる、後の事なり。書紀の仁徳天皇の御巻に、素服と云う字など見えたれど、例の漢文のかざりにこそ有れ、そのかみさる事有りしにあらず。仲哀天皇崩りましまして、いく程も無く、神功皇后の、重き御神わざの有りしにても、服無かりけむ事知られたり。そもそも漢国に、喪服と云う事のかぎりを、こまやかに定めたるは、ねもころなるに似たれども、なかなかに心ざし浅き、うわべの事なり。親などにおくれたらん悲しさは、その月のその頃までと、きわやかにかぎりの有るべきわざには有らざるに、しいてかぎりをたてて、きわやかに定めたるは、かの国のなべてのくせにて、云いもてゆけば、人にいつわりを教うるわざなり。
-
『玉勝間』四の巻 人のうせたる後のわざ親を思う心の浅からむ子は、三年をまたで、はやくかなしさはさめぬべきに、なお服をきて、悲しきさまをもてつけ、また心ざし深からんは、三とせ過ぎたらむからに、かなしさは歇むべきならぬに、ぬぎ捨てて、名残り無くしなさむは、共にうわべのいつわりに有らずや。さるを皇国にこの服と云う事の無かりしは、きわやかなるかぎりの無き悲しさのままなるにて、長くも短かくも、これぞまことにかなしむには有りける。服は着ざれども、悲しきはかなしく、着ても、かなしからぬは悲しからねば、いたづら事なり。さればかの国にても、漢の文帝と云いし王は、こよなく服をちぢめたりしを、儒者は、いみしく善からぬ事に、もどき云えども、ことわり有る事ぞかし。皇国にならいまねばれたるにも、ちぢめて、親のをも、一とせと定められたり。さるはいと久しく、身のつとめを欠かむも、よう無きいたづら事なれば、かなしながらに、出でて仕えんに、なでう事かあらむ。さてかく云うは、服ちょう事の有り無しの、本のあげつらいにこそあれ、すでにその御おきての有るうえは、かたく守りて、冒すまじき物ぞかし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る