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玉勝間 / 四の巻 人のうせたる後のわざ

人の死たる後のわざ、上ッ代にはいかに有けむ。神代に天若日子の身うせにし時、八日八夜遊と有て、樂して遊びし事などの、わづかに見えたるのみにして、こまかなる事は、すべて知がたし。但し音樂して遊びし事は、なべての定まりなり。そのよしは古事記ノ傳に云へるが如し。さて死を穢とする事は、神代より然り。されど其れも、日數のかぎりの定まりしは、後なるべし。又忌服は、から國をまねびたる、後の事なり。書紀の仁德天皇の御卷に、素服と云ふ字など見えたれど、例の漢文のかざりにこそ有れ、そのかみさる事有しにあらず。仲哀天皇崩りましまして、いく程も無く、神功皇后の、重き御神わざの有しにても、服無かりけむ事知られたり。そもそも漢國に、喪服と云ふ事のかぎりを、こまやかに定めたるは、ねもころなるに似たれども、中中に心ざし淺き、うはべの事なり。親などにおくれたらん悲しさは、その月の其頃までと、きはやかにかぎりの有べきわざには有らざるに、しひてかぎりをたてて、きはやかに定めたるは、かの國のなべてのくせにて、云ひもてゆけば、人にいつはりを敎るわざなり。

新字:人の死たる後のわざ、上ッ代にはいかに有けむ。神代に天若日子の身うせにし時、八日八夜遊と有て、楽して遊びし事などの、わづかに見えたるのみにして、こまかなる事は、すべて知がたし。但し音楽して遊びし事は、なべての定まりなり。そのよしは古事記ノ伝に云へるが如し。さて死を穢とする事は、神代より然り。されど其れも、日数のかぎりの定まりしは、後なるべし。又忌服は、から国をまねびたる、後の事なり。書紀の仁徳天皇の御巻に、素服と云ふ字など見えたれど、例の漢文のかざりにこそ有れ、そのかみさる事有しにあらず。仲哀天皇崩りましまして、いく程も無く、神功皇后の、重き御神わざの有しにても、服無かりけむ事知られたり。そもそも漢国に、喪服と云ふ事のかぎりを、こまやかに定めたるは、ねもころなるに似たれども、中中に心ざし浅き、うはべの事なり。親などにおくれたらん悲しさは、その月の其頃までと、きはやかにかぎりの有べきわざには有らざるに、しひてかぎりをたてて、きはやかに定めたるは、かの国のなべてのくせにて、云ひもてゆけば、人にいつはりを教るわざなり。

書き下し

人の死にたる後のわざ、上つ代にはいかに有りけむ。神代に天若日子の身うせにし時、八日八夜遊ぶと有りて、楽して遊びし事などの、わづかに見えたるのみにして、こまかなる事は、すべて知りがたし。ただし音楽して遊びし事は、なべての定まりなり。そのよしは古事記伝に云えるが如し。さて死を穢とする事は、神代より然り。されどそれも、日数のかぎりの定まりしは、後なるべし。また忌服は、から国をまねびたる、後の事なり。書紀の仁徳天皇の御巻に、素服と云う字など見えたれど、例の漢文のかざりにこそ有れ、そのかみさる事有りしにあらず。仲哀天皇崩りましまして、いく程も無く、神功皇后の、重き御神わざの有りしにても、服無かりけむ事知られたり。そもそも漢国に、喪服と云う事のかぎりを、こまやかに定めたるは、ねもころなるに似たれども、なかなかに心ざし浅き、うわべの事なり。親などにおくれたらん悲しさは、その月のその頃までと、きわやかにかぎりの有るべきわざには有らざるに、しいてかぎりをたてて、きわやかに定めたるは、かの国のなべてのくせにて、云いもてゆけば、人にいつわりを教うるわざなり。

現代語訳

人が死んだ後の儀礼は、上代にはどうであったのだろう。神代に天若日子が亡くなった時、「八日八夜遊んだ」とあって、音楽をして遊んだ事などがわずかに見えるだけで、細かな事はすべて知りがたい。ただし音楽をして遊んだ事は、一般の定まりであった。その理由は古事記伝に述べたとおりである。さて死を穢れとする事は神代からそうであった。けれどもそれも、日数の限りが定まったのは後のことであろう。また忌服(喪に服すること)は、唐国をまねた後の事である。日本書紀の仁徳天皇の巻に「素服」という字などが見えるけれども、例の漢文の飾りであって、当時そのような事があったのではない。仲哀天皇が崩御されて間もなく、神功皇后による重い神事があったことからも、服喪がなかったであろうことが知られる。そもそも漢国で喪服ということの期限を細かく定めているのは、丁寧なように見えるけれども、かえって心ざしの浅い、上辺の事である。親などに先立たれた悲しさは、その月のその頃までと、はっきり限りがあるはずのものではないのに、無理に期限を立ててはっきり定めているのは、あの国の一般の癖であって、突き詰めていけば、人に偽りを教えることなのである。

解説

死者を悼む作法、とくに喪に服する期間について論じた長い段の前半である。宣長はまず上代を見る。神代に天若日子が死んだとき、八日八夜の間、音楽して遊んだことが古事記に見え、死を穢れとする考えも神代からあったが、細かな決まりは知りがたい。喪服を着て期間を定める忌服は、中国をまねた後世のもので、書紀に「素服」とあるのは漢文の飾りだ、と断じる。そのうえで、中国の喪服の制度を批判する。親を失った悲しみは、何月までと区切れるものではない。それをきっちり定めるのは、丁寧に見えて実は上辺の形であり、突き詰めれば人に偽りを教えることだ、と。儒学では親の喪を三年と定め、礼の根本とする。その制度に、心の真実という物差しで挑んだ一段である。

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