玉勝間 / 十一の巻 讃岐国に古、矛竿を貢りし所の跡
讃岐ノ國の事をしるせる物に、三野ノ郡竹田村に、當國忌部の庄とて、殊勝の地あり。釋迦堂屋敷と唱ふ。五社大明神と云ふ社有りて、村の氏神と崇む。此村往古、貢旗竿八百本上納せしに、今其竹枯失て、跡は田地となれり。この故に竹田村と號すと云へり。かの國より矛竿八百竿を、年每に貢りし事、古語拾遺に見え、臨時祭式には、桙木千二百四十四竿とあり。かの書に旗竿と云へるは、誤なるべし。
新字:讃岐ノ国の事をしるせる物に、三野ノ郡竹田村に、当国忌部の庄とて、殊勝の地あり。釈迦堂屋敷と唱ふ。五社大明神と云ふ社有りて、村の氏神と崇む。此村往古、貢旗竿八百本上納せしに、今其竹枯失て、跡は田地となれり。この故に竹田村と号すと云へり。かの国より矛竿八百竿を、年毎に貢りし事、古語拾遺に見え、臨時祭式には、桙木千二百四十四竿とあり。かの書に旗竿と云へるは、誤なるべし。
書き下し
讃岐の国の事をしるせる物に、三野の郡竹田村に、当国忌部の庄とて、殊勝の地あり。釈迦堂屋敷と唱う。五社大明神と云う社有りて、村の氏神と崇む。この村往古、貢旗竿八百本上納せしに、今その竹枯れ失せて、跡は田地となれり。この故に竹田村と号すと云えり。かの国より矛竿八百竿を、年毎に貢りし事、古語拾遺に見え、臨時祭式には、桙木千二百四十四竿とあり。かの書に旗竿と云えるは、誤りなるべし。
現代語訳
讃岐国のことを記した書に、こうある。三野郡竹田村に、この国の忌部の庄といって、由緒ある尊い土地がある。釈迦堂屋敷と呼んでいる。五社大明神という社があって、村の氏神として崇めている。この村は昔、貢ぎ物として旗竿八百本を納めていたが、今はその竹が枯れてなくなり、跡は田地となった。このために竹田村と名づけたのだ、という。その国から矛竿を八百竿、毎年貢いだことは『古語拾遺』に見え、『延喜式』の臨時祭式には「桙木千二百四十四竿」とある。その書に旗竿と言っているのは誤りであろう。
解説
関連する章句
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