玉勝間 / 十三の巻 讃岐ノ国人女をよばふに藁を結びておくる事
さぬきの國の人、女をよばふに、藁を結びておくるわざあり。此事、かの國にても、城下など云ふやうの所の人は、知らぬを、なべての所の里人どもは、皆する事なり。斯くの如く結びておくるに、いなと云ふ返事には斯くのごとく引分てかへし、逢はむと云ふかへりことには、斯くの如く、結びめを、中へ引きよせてかへすなり。もし萬葉に玉梓と云へるは、斯かる事にはあらじか。今の世に、草の實の仁に、玉づさと云ふがあるも、件のわらの結びざまに似たりと、かの國の山田六郞高村が許より云ひおこせたり。
新字:さぬきの国の人、女をよばふに、藁を結びておくるわざあり。此事、かの国にても、城下など云ふやうの所の人は、知らぬを、なべての所の里人どもは、皆する事なり。斯くの如く結びておくるに、いなと云ふ返事には斯くのごとく引分てかへし、逢はむと云ふかへりことには、斯くの如く、結びめを、中へ引きよせてかへすなり。もし万葉に玉梓と云へるは、斯かる事にはあらじか。今の世に、草の実の仁に、玉づさと云ふがあるも、件のわらの結びざまに似たりと、かの国の山田六郎高村が許より云ひおこせたり。
書き下し
さぬきの国の人、女をよばうに、藁を結びておくるわざあり。この事、かの国にても、城下など云うようの所の人は、知らぬを、なべての所の里人どもは、皆する事なり。かくの如く結びておくるに、いなと云う返事にはかくのごとく引き分けてかえし、逢わむと云うかえりことには、かくの如く、結びめを、中へ引きよせてかえすなり。もし万葉に玉梓と云えるは、かかる事にはあらじか。今の世に、草の実の仁に、玉ずさと云うがあるも、件のわらの結びざまに似たりと、かの国の山田六郎高村が許より云いおこせたり。
現代語訳
讃岐の国の人は、女に求婚するのに、藁を結んで贈る習わしがある。このことは、その国でも城下などというような所の人は知らないが、一般の村里の人々はみなすることである。このように結んで贈ると、「いやだ」という返事にはこのように引き分けて返し、「逢いましょう」という返事には、このように結び目を真ん中へ引き寄せて返すのである。もしや『万葉集』に「玉梓(たまずさ)」と言っているのは、このようなことではないだろうか。今の世に、草の実の種に「玉ずさ」というものがあるのも、その藁の結び方に似ている、と、その国の山田六郎高村のもとから言ってよこした。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』十一の巻 讃岐国に古、矛竿を貢りし所の跡讃岐の国の事をしるせる物に、三野の郡竹田村に、当国忌部の庄とて、殊勝の地あり。釈迦堂屋敷と唱う。五社大明神と云う社有りて、村の氏神と崇む。この村往古、貢旗竿八百本上納せしに、今その竹枯れ失せて、跡は田地となれり。この故に竹田村と号すと云えり。かの国より矛竿八百竿を、年毎に貢りし事、古語拾遺に見え、臨時祭式には、桙木千二百四十四竿とあり。かの書に旗竿と云えるは、誤りなるべし。
-
『玉勝間』八の巻 ゐなかに古、のわざの残れる事詞のみにも有らず、万づのしわざにも、片田舎には、古えざまの、みやびたる事の、残れるたぐい多し。さるを例のなまさかしき心ある者立まじりては、かえりておこがましく覚えて、改むるから、いずこにも、ようように古き事の失せ行くは、いと口惜きわざなり。葬礼婚礼など、殊に田舎には、古く面白き事多し。すべてかかるたぐいの事共をも、国々のようを、海づら山がくれの里々まで、あまねく尋ね、聞あつめて、物にもしるし置かまほしきわざなり。葬祭などのわざ、後の世の物知り人の、考え定めたるは、中々にから心のさかしらのみ、多くまじりて、ふさわしからず、うるさしかし。
-
『玉勝間』十三の巻 万葉集に山ノ字を玉に誤れる例万葉集に、山の字を玉に誤れる例多し。草書にては、山と玉とよく似たる故なり。二の巻に、「三吉野の玉松が枝は」云云、十五の巻に、やままつかげにともあり。玉は山を誤れることしるし。然るを後の歌に、玉松と詠めるは、この歌によれるにて、皆ひがことなり。玉松と云うことは、有る事無し。又同じ二の巻に、「人はよし思いやむとも玉かずら影に見えつつ」云云、こは山かずらは、日かげかずらのことにて、影の枕詞に置けるなり。山かずら日かげとつづく意にて、十四の巻に、あしひきの山かずらかげと詠めるかげに同じ。十八の巻にも、かずらかげと有り、みなかげは日かげのかずらの事なり。然るを後の世に、この玉かずらを、山かずらの誤りなる事を知らずして、影と続きたるを、懸の意と心得たるは、ひがことなり。又十三の巻に、「斎串立て」云云「雲聚の玉蔭見ればともしも」、こはうずに垂れたる日かげのかずらなり。十六の巻に、「あしひきの玉かずらの児」とあるは、あしひきのとあれば、山なること論無し。即ち「玉久世の清き河原」云云と云う歌も、ならべる歌には、山かずらの児とあり。さて件の例どもによりて思えば、十一の巻に、山代の久世の河原なりけむを、山を玉に、能を清に誤り、代を脱せるにこそ。玉久世と云うことは、有るべくも覚えず。
-
『玉勝間』一の巻 水茎の岡そはまづ上古には、人の許へ使をやるには、梓木に玉をつけたるを持たせて、使のしるしとせしなり。玉梓の使とつねに云うはこの事なり。それよりうつりて、せうそこ文をも、同じく玉梓と云い、またかの玉つけたる梓をさして、みづみづしき木と云う意にて、みづぐきと云えるより、これもうつりて書をも然か云えるなり。かくてまたうつりては、必ずしも人の許へやる書ならでも、手跡の事をも、水ぐきと云う事となれるなり。
-
『玉勝間』十三の巻 巻頭(おもひ草十三)されどすすきの中にのみ生うるから、近き世に事好む者の、おしてそれと名づけたるにも有らむかと云いて、その草の図をも書きて、見せにおこせたる、そのかたは、かくぞ有りける。その後に又あるとき、花の咲きたる頃、一もと掘りて、薄のきりくいごめに、竹の筒の中に植えて、ただにその草をも、見せにおこせたるを、移し植えて見けるに、しばしは生いつきたるさまにて有りしを、ほどなく冬枯れにける。又のとしの春、萌えや出ると、待ちけるに、ついに枯れて、薄ながらに芽も出ずなりにきかし。さるは後にたずね見れば、このわたりの野山なる、すすきの中にも、ある草にぞ有りける。これ古の思い草ならむことはしも、げにいと覚束なくなむ。
-
『玉勝間』十三の巻 まるすげと云ふ草世にかやつり草と云う草の、小さきようなる草の、田に生いて、田夫のいたくいとう草あり。美濃の国にてこれをまること云う。三河の国にては、まるすげと云うよしなり。まろこ菅と歌に詠める物にはあらじかと、同人云えり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る