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玉勝間 / 八の巻 ゐなかに古、のわざの残れる事

詞のみにも有らず、萬づのしわざにも、片田舎には、古へざまの、みやびたる事の、殘れるたぐひ多し。さるを例のなまさかしき心ある者立まじりては、かへりてをこがましく覺えて、改むるから、いづこにも、やうやうに古き事の失せ行くは、いと口惜きわざなり。葬禮婚禮など、殊に田舍には、古く面白き事多し。すべてかかるたぐひの事共をも、國國のやうを、海づら山がくれの里里まで、あまねく尋ね、聞あつめて、物にもしるし置かまほしきわざなり。葬祭などのわざ、後ノ世の物知り人の、考へ定めたるは、中中にから心のさかしらのみ、多くまじりて、ふさはしからず、うるさしかし。

新字:詞のみにも有らず、万づのしわざにも、片田舎には、古へざまの、みやびたる事の、残れるたぐひ多し。さるを例のなまさかしき心ある者立まじりては、かへりてをこがましく覚えて、改むるから、いづこにも、やうやうに古き事の失せ行くは、いと口惜きわざなり。葬礼婚礼など、殊に田舎には、古く面白き事多し。すべてかかるたぐひの事共をも、国国のやうを、海づら山がくれの里里まで、あまねく尋ね、聞あつめて、物にもしるし置かまほしきわざなり。葬祭などのわざ、後ノ世の物知り人の、考へ定めたるは、中中にから心のさかしらのみ、多くまじりて、ふさはしからず、うるさしかし。

書き下し

詞のみにも有らず、万づのしわざにも、片田舎には、古えざまの、みやびたる事の、残れるたぐい多し。さるを例のなまさかしき心ある者立まじりては、かえりておこがましく覚えて、改むるから、いずこにも、ようように古き事の失せ行くは、いと口惜きわざなり。葬礼婚礼など、殊に田舎には、古く面白き事多し。すべてかかるたぐいの事共をも、国々のようを、海づら山がくれの里々まで、あまねく尋ね、聞あつめて、物にもしるし置かまほしきわざなり。葬祭などのわざ、後の世の物知り人の、考え定めたるは、中々にから心のさかしらのみ、多くまじりて、ふさわしからず、うるさしかし。

現代語訳

言葉だけではない。あらゆる行いについても、片田舎には昔ふうの雅びな事が残っている類が多い。ところが、例によって生半可に利口ぶる心のある者が交じると、かえってそれを愚かしく思って改めてしまうので、どこでも次第に古い事が失われていくのは、たいそう残念なことである。葬礼や婚礼などには、とりわけ田舎に古くて興味深い事が多い。すべてこうした類の事柄も、国々のありさまを、海辺や山かげの村々まで広く尋ね、聞き集めて、書物にも記しておきたいものである。葬祭などの作法で、後世の物知りが考えて定めたものは、かえって漢意(からごころ)の小賢しさばかりが多く混じっていて、ふさわしくなく、わずらわしいものだ。

解説

宣長は、古い言葉だけでなく古いしきたりも田舎にこそ残ると見る。町の「なまさかしき」者がそれを野暮と見て改めてしまうことを惜しみ、葬礼や婚礼を中心に、海辺や山里まで国々の習俗を聞き集めて記録したいと願う。後の民俗学に通じる発想として、しばしば引かれる段である。宣長の古学は、古事記や万葉集の言葉から古人の心を知ろうとするものであり、生きた習俗はその言葉を裏づける手がかりでもあった。末尾では、学者が理屈で定めた葬祭の作法を漢意のさかしらとして退ける。整った理屈より、土地で黙って続いてきたやり方にこそ古の心が宿るという見方である。地方の慣習を古いというだけで捨てかねない今の私たちにも、そのまま問いかけてくる。

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