玉勝間 / 六の巻 さぬきの国戸口の数
菅原ノ大臣の、讃岐守にておはしける時の、懺悔會の作に、歸依、一萬三千佛、哀愍二十八萬人、(部內戶口)と有り。これ其の頃、讃岐ノ國の戶口の、大かたの數なるべし。又同國にて、祭城山神文には、八十九郷二十萬口と有り、ともに菅家文艸に載れり。
新字:菅原ノ大臣の、讃岐守にておはしける時の、懺悔会の作に、帰依、一万三千仏、哀愍二十八万人、(部内戸口)と有り。これ其の頃、讃岐ノ国の戸口の、大かたの数なるべし。又同国にて、祭城山神文には、八十九郷二十万口と有り、ともに菅家文艸に載れり。
書き下し
菅原の大臣の、讃岐守にておわしける時の、懺悔会の作に、帰依す、一万三千仏、哀愍す、二十八万人(部内の戸口)と有り。これその頃、讃岐の国の戸口の、大かたの数なるべし。また同じ国にて、城山の神を祭る文には、八十九郷二十万口と有り、ともに菅家文草に載れり。
現代語訳
菅原の大臣(菅原道真)が讃岐守でいらっしゃったときの懺悔会の詩に、「帰依す一万三千仏、哀愍す二十八万人(部内の戸口)」とある。これはそのころの讃岐国の戸口のおおよその数であろう。また同じ国で城山の神を祭る文には「八十九郷、二十万口」とある。ともに菅家文草に載っている。
解説
平安前期の讃岐国の人口を、菅原道真の詩文から拾い出した短い一段である。道真は仁和二年(886)から四年間讃岐守を務め、その間の詩文が菅家文草に残る。懺悔会の詩には国内の人を二十八万人と詠み、城山の神を祭る祭文には八十九郷二十万口と記す。二つの数には開きがあるが、いずれにしても一国の人口の目安になる。詩文は文学として読まれるが、宣長はそこに当時の社会の数字を見いだしている。文学作品が思いがけず歴史の資料になることがある。国司として治める民の数を常に意識していた道真の姿も、この数字の中からうかがえる。
関連する章句
-
『玉勝間』十一の巻 讃岐国に古、矛竿を貢りし所の跡讃岐の国の事をしるせる物に、三野の郡竹田村に、当国忌部の庄とて、殊勝の地あり。釈迦堂屋敷と唱う。五社大明神と云う社有りて、村の氏神と崇む。この村往古、貢旗竿八百本上納せしに、今その竹枯れ失せて、跡は田地となれり。この故に竹田村と号すと云えり。かの国より矛竿八百竿を、年毎に貢りし事、古語拾遺に見え、臨時祭式には、桙木千二百四十四竿とあり。かの書に旗竿と云えるは、誤りなるべし。
-
『玉勝間』六の巻 さぬきの国の山の谷なるあやしきゑり物大和国つぼ坂寺のおくなる山に、五百羅漢のかたとて、石に数百の人のかたを彫りたるあり。或る人の云えるは、これを俗に羅漢としも云うは、あらぬことなり。よく見れば、みな上つ代の人の形なり、神の御しわざと見えたりと云えり。おのれ未だ見ざれども、まことにさぞ有らむとぞ覚ゆる。すべて古き神の御像、またさらぬをも、世にはみなおしなべて、仏のかたと思える多し。また物の形など石にえりたるが、あやしく何ともわきまえ難きなど、世に多かるを見れば、上つ代には、くさぐさ石に物える事の、多かりしなり。神代のしわざをも、今まのあたり見るべき物は、石のみぞ有りける。讃岐の国に、その所の名聞きつるを、忘れたり。いと広き谷ひと谷に、有るかぎりの岩、一つもおちず、大きなるにも小さきにも、ことごとく仏のかたを彫りたる所ありて、その数かぞえ尽くすべからずとぞ。或る人そのさまをよく見て、あまりあやしさに、石工にはからせたるに、大かた日毎に数百人の石つくりをして、三十年ばかりの月日を経て、えらしめずは、かくまでは成し得じ。
-
『玉勝間』六の巻 菅家万葉集菅家万葉集上下二巻あり。見るに、上の巻は、云うべき事も無きを、下の巻は、歌は、真字のさま、上の巻とかわれる事無ければ、同じく菅原の大臣のものし給えるならんを、詩のさまなん、上の巻とはこよなくして、更にかのおとどの御しわざとは見えず。むげに拙なくして、ただ七言四句にととのえたるのみこそ有れ、心もつづかず、ねごとなどを聞くようにて、何事ともわきまえ難く、いといとみだりがわしく、韻字と云う物をだにととのえず、さらに詩と云うべき物にもあらず。されば下の巻は、かの大臣は、歌のみを物し給いて、詩をば添え給わざりけむを、後の世の人の、上の巻にならいて、みだりにおぎないたるなるべし。さるはむげに物のこころも知らぬ、おこの者のしわざとこそ見えたれ。序も、下の巻のは、詩と同じ人の書けりと見えて、いとおさなし。
-
『玉勝間』六の巻 延喜式五十巻にして十巻は神祇式なる事延喜の式、すべて五十巻にして、はじめ十巻は神祇式なり。されば朝廷天の下の諸の公事のうち、五分が一つは神事にて有りし。これを以ても、古の神事のまつりごとの、重くしげく、盛んなりしほどを、思いはかるべし。もろこしの国などは、神を祭る事、いとおろそかにして、周の代よりこなたは、いよいよなおざりに思うめり。然るをこの神の御国の人、さる怠々しき戎国ぶりに思いならいて、よろしからめや。
-
『玉勝間』六の巻 さぬきの国の山の谷なるあやしきゑり物またかばかり高く大きなる、数十似のいわおどもには、まずその足代を構えんばかりも、かたき業なるべければ、このたくみ、さらに人の力の及ぶべきかぎりに有らずと云いけりとぞ。いともあやしくくすしき事にぞ有りける。いずれの郡に、何と云う山の谷ぞ、いま一たび所をも聞き定めて、なおよく尋ぬべきことなり。土人は、弘法大師のえれると、云い伝えたりとぞ。おのれこの事を聞きて思うに、まずすべて国々に、あやしき物と云えば、みな弘法のしわざと云うは、常の事にて、そはもとより論うにも足らず。また仏のかたと思うも、例のひがことにて、これはた神代の人の形にて、神の造り給える物とこそ覚ゆれ。行きて見ん人、なおよく考えて定めてよ。すべて国々に、こうようのあやしき所の有るには、必ず世々の法師ども、あらたに手を加えて仏ざまにしなして、例の世の人をあざむくたぐいも多かるを、心してなまどわされそ。
-
『玉勝間』十一の巻 田舎の神社に高き位階を授らるる事同記に云わく、同五年九月廿九日、この日贈位宣下行わるるなり。(西宮左大臣高明公)備前国において勧請し奉る神と云云。件の社この間託宣有り、某村人に属きて、祟りを成さしめ給い候間、山科中将顕言朝臣に就きて、地下より申し請うる仁有り。奏聞を経て、勅許有りてこれを行わる、従一位を贈らるる者なり。夜に入りてその儀有り云云。これは贈位の例とはおぼえず。ただ神に位を授け給えるにこそ有れ。またすべての事のさま、古に違いて、近き世のさまなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る