風姿花伝 / 第四 神祇
一 申楽神代のはじまりといふは天照大神天の岩戸にこもり給ひしとき天下とこやみになりしに月神の御子島根見尊をはじめたてまつりて八百万の神達天の香久山にあつまり大神の御心をとらむとて神楽を奏し才男を始め給ふ中にも天の鈿女尊すすみ出でて榊の枝に幣を付けて声をあげほとろ職踏みとどろかし神がかりすと謡ひ舞ひかなで給ふその御声ひそかに聞えければ大神岩戸を少し開きたまふ国土また明白たり神達の御おもしろかりけりそのときの御あそび申楽の初といふくはしくは口伝にあるべし
書き下し
一 申楽、神代のはじまりといふは、天照大神、天の岩戸にこもり給ひしとき、天下とこやみになりしに、月神の御子島根見尊をはじめたてまつりて、八百万の神達天の香久山にあつまり、大神の御心をとらむとて神楽を奏し、才男を始め給ふ。中にも天の鈿女尊すすみ出でて、榊の枝に幣を付けて声をあげ、ほとろ職踏みとどろかし、神がかりすと謡ひ舞ひかなで給ふ。その御声ひそかに聞えければ、大神岩戸を少し開きたまふ。国土また明白たり。神達の御おもしろかりけり。そのときの御あそび、申楽の初といふ。くはしくは口伝にあるべし。
現代語訳
申楽が神代に始まったというのはこうである。天照大神が天の岩戸にお隠れになったとき、天下は永遠の闇となった。そこで月神の御子である島根見尊をはじめとして、八百万の神々が天の香久山に集まり、大神の御心を引き出そうとして神楽を奏し、才男(芸を司る者)の役を初めて立てられた。その中でも天鈿女尊が進み出て、榊の枝に幣を付け、声を上げ、はげしく足を踏み鳴らし、神がかりの状態となって謡い舞い奏でられた。その御声がかすかに聞こえてきたので、大神は岩戸を少しお開きになった。すると国土は再び明るくなった。神々はたいそう面白がられた。そのときの御遊びを申楽の初めというのである。詳しくは口伝にあるはずである。
解説
この一節は、申楽(のちの能)の起源を神代に求め、天照大神の岩戸隠れの神話に重ねて語ります。天鈿女尊が榊と幣を手に神がかりして舞い、大神を岩戸から誘い出した「あそび」こそ芸能の始まりだ、という由緒づけです。『風姿花伝』第四「神祇」篇は、世阿弥が自らの芸道に神聖な権威と歴史的正統性を与えるために置いた章で、本節はその冒頭にあたります。芸を単なる娯楽ではなく、天地を動かし閉ざされた心を開く力として位置づける発想は、現代の表現やプレゼンにも通じます。人を動かすのは理屈以前の「場を沸かせる力」であり、その原点が祝祭的な身体表現にあることを、この物語は教えてくれます。
この章句が説くこと
申楽神代天照大神天の岩戸天鈿女尊神楽
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