甲陽軍鑑 / 品第四十八
扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證據なきさへ以て御分國をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
新字:扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても証拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
書き下し
扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
現代語訳
さてまた諸人の批判には、際限なき法花坊が磔に上がらん、または炙られんとの沙汰なり。奉行衆も、この以前の岩村田の法華坊主は何にても証拠なきさえもって御分国を払わるる。まして、これは大方の御成敗にてはあるまじ。急ぎ改め出し、日記に付け、言上申すべしとて書き立てをもって申し上ぐる。
解説
前の一件で、証拠のない僧さえ追放されたことが先例になっている。まして今度は証拠がある。だから大変な処分になるはずだと奉行も見て、対象を洗い出して名簿にして上げる。前例が、次の裁きの見込みを作っている。前例が、次の裁きの見込みを作っている。証拠のない僧さえ追放されたのだから、証拠のある今度は重い処分になるはずだと、奉行までがそう見ていた。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
先例見込み名簿追放奉行岩村田
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