玉勝間 / 十一の巻 告文清書世尊寺家口伝
中原康富記云、嘉吉二年十月九日、參世尊寺三位(行豐卿)亭、聊中風氣不及對面、以子息侍從行賢、申承了。自殿下、多武峰御告文淸書事、被仰下候間、書樣並文字之分量等、委可口傳之由、令申之、委細以拾遺被示之。又侍從存知之分、被授之、御位署不可書切也。又不吉之字は、墨を薄く細く可書也。吉字は、墨黑ニ可書候。假令不吉字者、火災禍難灰燼死兵亂病、此等之類也。吉字は、福德壽命などの字ノ類也。命などの字は、分よりも長く、可書也。又よき唐墨は、前の日兼てより、摺リためて置宜シキ也。中中惡ろき墨は、俄ニすりたてたる善き也云云。筆、事、ふくさ紙には、鹿の毛、打紙ニハ、兎の毛、强紙ニハ、狸の毛、此〓等似合て善き也と云云。御告文、高檀紙のふくさ紙ならば、鹿毛の筆可宜之由被示之。御告文は、一段神事しく可書也云云。告文、紙二枚も有れ、三枚も有れ、可續也。願書は、續ずして書也云云。文字のほどらい、明日可給之由、被諾、翌日三品書給了。予先年、今上御元服之賀表淸書事、就少內記、被仰下之間、書進之、今又可黷御告文之條、雖非無其憚、佳例難遁之故申領掌者也。其子細、委先年受故坊城右中辨俊國之口傳了。雖然、重又今日、授世尊寺三品之家說了。入大廟每事問之謂乎。
新字:中原康富記云、嘉吉二年十月九日、参世尊寺三位(行豊卿)亭、聊中風気不及対面、以子息侍従行賢、申承了。自殿下、多武峰御告文清書事、被仰下候間、書様並文字之分量等、委可口伝之由、令申之、委細以拾遺被示之。又侍従存知之分、被授之、御位署不可書切也。又不吉之字は、墨を薄く細く可書也。吉字は、墨黒ニ可書候。仮令不吉字者、火災禍難灰燼死兵乱病、此等之類也。吉字は、福徳寿命などの字ノ類也。命などの字は、分よりも長く、可書也。又よき唐墨は、前の日兼てより、摺リためて置宜シキ也。中中悪ろき墨は、俄ニすりたてたる善き也云云。筆、事、ふくさ紙には、鹿の毛、打紙ニハ、兎の毛、強紙ニハ、狸の毛、此〓等似合て善き也と云云。御告文、高檀紙のふくさ紙ならば、鹿毛の筆可宜之由被示之。御告文は、一段神事しく可書也云云。告文、紙二枚も有れ、三枚も有れ、可続也。願書は、続ずして書也云云。文字のほどらい、明日可給之由、被諾、翌日三品書給了。予先年、今上御元服之賀表清書事、就少内記、被仰下之間、書進之、今又可黷御告文之条、雖非無其憚、佳例難遁之故申領掌者也。其子細、委先年受故坊城右中弁俊国之口伝了。雖然、重又今日、授世尊寺三品之家説了。入大廟毎事問之謂乎。
書き下し
中原康富記に云わく、嘉吉二年十月九日、世尊寺三位(行豊卿)の亭に参る、いささか中風の気ありて対面に及ばず、子息侍従行賢を以て、申し承り了んぬ。殿下より、多武峰の御告文清書の事、仰せ下され候間、書様並びに文字の分量等、委しく口伝すべきの由、これを申さしむ、委細拾遺を以てこれを示さる。また侍従存知の分、これを授けらる、御位署は書き切るべからざるなり。また不吉の字は、墨を薄く細く書くべきなり。吉字は、墨黒に書くべく候。仮令不吉の字は、火災禍難灰燼死兵乱病、これらの類なり。吉字は、福徳寿命などの字の類なり。命などの字は、分よりも長く、書くべきなり。またよき唐墨は、前の日かねてより、摺りためて置く宜しきなり。なかなか悪ろき墨は、にわかにすりたてたる善きなり云云。筆の事、ふくさ紙には、鹿の毛、打紙には、兎の毛、強紙には、狸の毛、この〓等似合いて善きなりと云云。御告文、高檀紙のふくさ紙ならば、鹿毛の筆宜しかるべきの由これを示さる。御告文は、一段神事しく書くべきなり云云。告文、紙二枚も有れ、三枚も有れ、続くべきなり。願書は、続けずして書くなり云云。文字のほどらい、明日給うべきの由、諾せられ、翌日三品書き給い了んぬ。予先年、今上御元服の賀表清書の事、少内記に就きて、仰せ下さるるの間、これを書き進ず、今また御告文を黷すべきの条、その憚り無きに非ずと雖も、佳例遁れ難きの故に領掌を申す者なり。その子細、委しく先年故坊城右中弁俊国の口伝を受け了んぬ。然りと雖も、重ねてまた今日、世尊寺三品の家説を授かり了んぬ。大廟に入りて事ごとに問うの謂いか。
現代語訳
『康富記』(中原康富の日記)にこうある。嘉吉二年(1442)十月九日、世尊寺三位(行豊卿)の邸に参った。少し中風の気味があって直接には会えなかったので、子息の侍従行賢を通して申し上げ、お答えを承った。関白殿下から、多武峰への御告文(神仏に奉告する文)の清書をするよう仰せ下されたので、書き方や文字の大きさ・配りなどを詳しく口伝してほしいと申し入れたところ、細かいことを拾遺(行賢)を通して示された。また侍従が知っている分も授けられた。御位署(官位と署名)は書き切ってはならない。また不吉な字は、墨を薄く細く書くべきである。吉い字は、墨を黒々と書くのがよい。たとえば不吉な字とは、火・災・禍・難・灰・燼・死・兵・乱・病、こういった類である。吉い字とは、福・徳・寿・命などの字の類である。命などの字は、割り当ての幅よりも長く書くべきである。またよい唐墨は、前の日からあらかじめ磨りためて置くのがよい。かえって質の悪い墨は、急いで磨り立てたものがよい、とのことである。筆のことは、ふくさ紙(柔らかい紙)には鹿の毛、打紙(打って艶を出した紙)には兎の毛、強紙(こわい紙)には狸の毛、これらがそれぞれ似合っていてよい、とのことである。御告文が高檀紙のふくさ紙ならば、鹿の毛の筆がよかろうと示された。御告文は、ひときわ神事らしく書くべきである、とのことである。告文は、紙が二枚になっても三枚になっても、継ぎ合わせるべきである。願書は継がずに書く、とのことである。文字の大きさの見本は、明日くださるとの承諾を得て、翌日三位(行豊)が書いてくださった。私は先年、今上天皇の御元服を祝う賀表の清書を、少内記を通じて仰せ下されたので、書いて差し上げたことがある。今また御告文を私の筆で汚すことになるのは、憚りがないわけではないが、よい先例があって逃れがたいので、お引き受けしたのである。その詳しい作法は、先年亡き坊城右中弁俊国から口伝を受けていた。それでも重ねて今日、世尊寺三位の家の説を授かったのである。「大廟に入って、事ごとに問う」(『論語』)というのは、このことであろうか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 多武ノ峰の額の事同記に云わく、享徳三年十二月三日、召しに依りて殿下に参る、仰せられて云わく。多武峰造営候間、額の事殿下に申し入るる者なり。後京極摂政御職の時、御自筆にこれを染めらる、殿下御筆を染めらるべきの由、これを申すと雖も、御右筆の儀、御能書に非ず、家の仁に仰せてこれを書かるべきの由、仰せらるるの処、寺家子細無きの由、申すの間、世尊寺三位伊忠卿に仰せらるべきなり、御使として、罷り向かうべきの由これを仰せらる。額三つあり。一つは一百余所とあり、神前に懸くべきなり、鎮守の前か。一つは妙楽寺とあり、大講堂の事なり。一つは聖霊院とあり、大職冠の御影安置の御廟なり云云。即ち世尊寺に向かい、侍従三位に対面せしめ、執柄の仰せの趣を、演説せしむ、返答して云わく。妙楽寺聖霊院の額二つの事は、書き進ずべきなり。紙に書きて後、金に彫りて板に打たるるなり、妙楽寺の額もこの分なり。神前の一百余所と申す額は、黒き板に、胡粉をもて白くこれを書かる、我が身重服の中たり、(今年四月父行豊逝去、一回の中なり、)但しいかがたるべく候や、時儀有るべく候の由申さる。この返答もっともなり。掃部頭師富、座席において参会す。三品の縁者なり。この後殿下に帰参し、彼の返事を申し入れ了んぬ。顕〓朝臣伺候せらる、一盞を賜り、退出し了んぬ。明日また罷り向かうべきの由、これを仰せらる。重服たりと雖も、憚り有るべからず、ただ書き進ずべきの由、これを仰せらる。世尊寺三品語られて云わく、後京極摂政殿御能書の間、額これを遊ばさる、然りと雖も御口伝無きの間、その咎有り、後悔有り、更に額書写の御相承有りと云云。この事東鏡という記にこれ有りと云云、と同記に見えたり。
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『玉勝間』十の巻 歌会同じ記に云う、嘉吉二年九月十八日、今日冷泉中将持和朝臣の宿所に参る、(近衛室町の辺なり)去月この宿所に移住す云々。一盞分撓し、之より雑談に及ぶ。和歌の懐紙の書き様、また会の座に懐紙を置く様、講師已下の条々の作法、具に之を口伝せらる、記録に遑あらざる者なり、云々。同日今夜、飯尾新左衛門尉為数の亭にて和歌会なり、云々。常光院大僧都堯孝題を出すなり。今夜読師たり。蜷川新右衛門入道智蘊講師たり、云々。今夜新右衛門講師の時、堯孝が短冊には、大僧都とよめり。懐紙もまた之に同じ、その外は皆実名、官途実名なり。聊か思惟有るべきか、如何。実名の中、ちと然るべきの輩、微音なり。その験有り、愚存もまたかくの如し。先ず懐紙を講じて後、次に短冊を披講す。
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『玉勝間』十の巻 笏をとり落せる時の作法中原康富記に云う、予筥を持ちて参進するの時、笏を落すの間、筥を下に置きて、笏を取りて、揖して筥を取り、一揖して立ち、更に参進す、是れ笏を落すの時の作法なり。
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『玉勝間』六の巻 書うつし物書く事ふみを写すに、同じくだりのうち、或るはならべるくだりなどに、同じ詞の有る時は、見まがえて、そのあいだなる詞どもを、写し漏らす事、常によく有るわざなり。また一ひらと思いて、二ひら重ねてかえしては、その間の一ひらを、みながら落とすことも有り。これら常に心すべきわざなり。またよく似て、見まがえやすき文字などは、殊にまがうまじく、たしかに書くべきなり。これは写しがきのみにもあらず、おおかた物書くに、心得べき事ぞ。すべて物を書くは、事のこころをしめさむとてなれば、おうなおうな文字さだかにこそ書かまほしけれ。さるをひたすら、筆のいきおいを見せむとのみしたるは、いかなる事とも、読み解きがたきが、世に多かる、あじきなきわざなり。常に書きかわす、消息文なども、文字読みがたくては、云いやるすじ、ゆきとおらず、読む人はた苦しみて、かしらかたぶけつつ、かえさい読めども、ついに読み得ずなどしては、ここ読みがたしと、かえし問わんも、さすがに無体しきようなれば、ただおしはかりに心得ては、事たがいもするぞかし。
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『玉勝間』六の巻 朔日の礼中原の康富の記に、嘉吉二年七月一日、伏見殿に参る、また三条殿に参る、皆朔日の礼なり、とあり。
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『玉勝間』十一の巻 室町殿の判の字の事同記に云わく、同六年四月二日、後に聞く、この日室町殿より、伊勢因幡守御使として、仰せ下されて云わく。今月御判始め有るべし、しかるに御判の事、御名字を草に書き成さるるの儀これ有り。或いはまた別字を以て作られ候儀これ有り、何の字を以て用いらるべきや撰び進ずべきの由、これを仰せらる。然りと雖も、先々この事、仰せを蒙らざるか、注し置かざるなり。もしまた記伝儒など撰び進ぜらるるか、伝奏に仰せ合わせらるるが然るべきか、ただまた使いに就きて撰び進ずべきの由、重ねて仰せ下さるべきか、御計らい有るべきの由、返事申さる。その後未だ仰せ出ださるるの旨無しと云云。鹿苑院殿普広院殿両代は、義の字なり。勝定院殿の御判は、慈の字なり。
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