玉勝間 / 十の巻 笏をとり落せる時の作法
中原康富記云、予持筥參進之時、落笏之間、筥下置テ、取笏テ、揖シテ取筥、一揖シテ立、更參進、是落笏之時作法也。
新字:中原康富記云、予持筥参進之時、落笏之間、筥下置テ、取笏テ、揖シテ取筥、一揖シテ立、更参進、是落笏之時作法也。
書き下し
中原康富記に云う、予筥を持ちて参進するの時、笏を落すの間、筥を下に置きて、笏を取りて、揖して筥を取り、一揖して立ち、更に参進す、是れ笏を落すの時の作法なり。
現代語訳
中原康富記にいう。「私が筥(はこ)を持って進み出た時、笏を落としたので、筥を下に置いて、笏を取り、会釈して筥を取り、もう一度会釈して立ち、改めて進み出た。これが笏を落とした時の作法である。」
解説
室町時代の外記中原康富の日記から、儀式の最中に笏を取り落とした時の作法を抜き出した段である。康富は筥を捧げて進む途中で笏を落とした。慌てて拾うのではなく、まず筥を下に置き、笏を取り、会釈してから筥を取り、もう一度会釈して立ち上がり、改めて進み出たという。失敗の後始末にまで決まった手順があり、それを一つずつ踏むことで、儀式の厳粛さが保たれたのである。康富が日記に書き留め、宣長が抜き書きしたのは、実地で試された作法が後の人の手本になるからだろう。失敗そのものより、失敗した後にどう振る舞うかが人の品位を示す。慌てずに一つずつ手順を踏んで立て直すという教えは、儀式の場を離れても、仕事でも日常でも通じる心得である。
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