玉勝間 / 二の巻 巻頭桜の落葉二
なが月の十日ごろ、せんざいの櫻の葉の、色こくなりたるが、物がなしきゆふべの風に、ほろほろとおつるを見て、よめる。花ちりし同じ梢をもみぢにも又ものおもふ庭ざくらかなこれを拾ひいれて、やがて卷の名としつ。
新字:なが月の十日ごろ、せんざいの桜の葉の、色こくなりたるが、物がなしきゆふべの風に、ほろほろとおつるを見て、よめる。花ちりし同じ梢をもみぢにも又ものおもふ庭ざくらかなこれを拾ひいれて、やがて巻の名としつ。
書き下し
なが月の十日ごろ、せんざいの桜の葉の、色こくなりたるが、物がなしきゆうべの風に、ほろほろとおつるを見て、よめる。花ちりし同じ梢をもみじにもまたものおもう庭ざくらかな これを拾いいれて、やがて巻の名としつ。
現代語訳
九月の十日ごろ、庭の植え込みの桜の葉が色濃く色づいたのが、もの悲しい夕べの風に、はらはらと散るのを見て詠んだ歌。「春に花の散った同じ梢を、秋の紅葉の季節にもまた眺めて、もの思いにふけることになる庭の桜であることよ」。この歌を拾い入れて、そのまま巻の名とした。
解説
二の巻の名「桜の落葉」の由来を書き留めた巻頭の一文である。宣長は『玉勝間』の巻ごとに、多くは草木にちなむ名を付けた。この巻では、秋の夕風に散る庭桜の葉を見て詠んだ一首から名を取っている。歌の心は、春に花の散るのを惜しんだ同じ枝に、秋にはまた葉の散るのを見て、二度もの思いをする、というところにある。宣長は生涯山桜を愛し、自画像の賛にも桜の歌を記したことで知られる。花の盛りだけでなく落葉にまで心を寄せるこの巻頭は、物のあわれを説いた宣長の感じ方そのものを示している。考証と論争の多い随筆の入口に、季節の小さな感慨を置いた構えにも目を留めたい。
関連する章句
-
『玉勝間』九の巻 巻頭(花の雪九)やよいの頃、ある所にて、桜の花の、木本に散りしけるを見て、一とせ吉野に物せし時も、多くはこうようにこそ散りぬる程なりしかと、ふと思い出でられけるままに、ふみ分けし昔恋しきみよしのの山つくらばや花の白雪かきあつめて、例の巻の名としつ。雪の山つくられし事は、物に見えたり。
-
『玉勝間』六の巻 花のさだめ花はさくら。桜は、山桜の、葉あかく照りて、細きが、まばらにまじりて、花しげく咲きたるは、またたぐうべき物も無く、うき世のものとも思われず。葉青くて、花のまばらなるは、こよなくおくれたり。大かた山ざくらと云う中にも、しなじなの有りて、こまかに見れば、一木ごとに、いささかかわれる処有りて、またく同じきは無きようなり。また今の世に、桐がやつ八重一重など云うも、ようかわりて、いとめでたし。すべて曇れる日の空に見あげたるは、花の色あざやかならず。松も何も、あおやかに茂りたるこなたに咲けるは、色はえて、ことに見ゆ。空清くはれたる日、日影のさすかたより見たるは、においこよなくて、おなじ花とも覚えぬまでなん。朝日はさらなり、夕ばえも。梅は紅梅、ひらけさしたる程ぞ、いとめでたきを、盛りになるままに、ようようしらけゆきて、見所無くなるこそ、いとくちおしけれ。さくらの咲ける頃までも、散る事知らで、むげに匂い無く、ねびれしぼみて、残りたるを見れば、げに有りて世の中は、何事も皆かくこそと、見る春ごとに、思い知らるかし。白きはすべて香こそあれ、見るめはしなおくれたり。
-
『玉勝間』七の巻 ある人の言桜の花ざかりに、歌詠む友だち、これかれかい連ねて、そこかしこと、見ありきける、帰るさに、見し花どもの事、語りつつ来るに、ひとりが云うよう、まろは、歌詠まむと、思いめぐらしける程に、きょうの花は、いかに有りけむ、こまやかにも見ずなりぬと云えるは、おこがましきようなれど、まことは誰れも然も有る事と、おかしくぞ聞きし。
-
『玉勝間』四の巻 桜を花と云ふ事ただ花と云いて桜の事にするは、古今集の頃までは、聞こえぬ事なり。契沖ほうしが余材抄に、委しく云えるが如し。源氏物語若菜の上の巻に、梅の事を云うとて、花のさかりにならべて見ばやと云える事あり、是れらはまさしく桜を分けて花と云えり。
-
『玉勝間』三の巻 巻頭(たちばな三)立ちよればむかしの誰と我ながらわが袖あやしたちばなのかげ。これは題よみのすずろ言なるを、とり出でたるは、ことさらめきて、いかにぞやもおぼゆれど、例の巻の名つけむとてなむ。
-
『玉勝間』七の巻 巻頭(ふぢなみ七)ある所にて、藤の花のいと面白く咲けりけるを見て、あかず覚えければ、藤の花わが玉のをも松が枝にまつわれてみむ千世の春までと詠みたるを、そのまたの日、この巻を書くとて、例の名づけつ。かえらん人にと云う歌を思い出でて、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る