玉勝間 / 十の巻 賀茂ノ社の神主祢宜権祢宜
台記云、久壽元年六月十五日、頭光賴朝臣來曰、賀茂禰宜重忠、轉神主、權禰宜家平、轉禰宜、貴布禰禰宜助平、轉權禰宜、氏人久〓、補貴布禰禰宜者と見えたり。神主と禰宜と有しなり。貴布禰ノ禰宜の權禰宜に轉ずるは、賀茂の權禰宜に成れりしなり。
新字:台記云、久寿元年六月十五日、頭光頼朝臣来曰、賀茂祢宜重忠、転神主、権祢宜家平、転祢宜、貴布祢祢宜助平、転権祢宜、氏人久〓、補貴布祢祢宜者と見えたり。神主と祢宜と有しなり。貴布祢ノ祢宜の権祢宜に転ずるは、賀茂の権祢宜に成れりしなり。
書き下し
台記に云う、久寿元年六月十五日、頭光頼朝臣来たりて曰く、賀茂の禰宜重忠、神主に転じ、権禰宜家平、禰宜に転じ、貴布禰の禰宜助平、権禰宜に転じ、氏人久〓、貴布禰の禰宜に補す、てえりと見えたり。神主と禰宜と有りしなり。貴布禰の禰宜の権禰宜に転ずるは、賀茂の権禰宜に成れりしなり。
現代語訳
台記にいう。「久寿元年六月十五日、蔵人頭の藤原光頼朝臣が来て言った。賀茂の禰宜重忠は神主に転じ、権禰宜家平は禰宜に転じ、貴布禰の禰宜助平は権禰宜に転じ、氏人の久〓を貴布禰の禰宜に補任する、とのことである」と見えている。神主と禰宜とがあったのである。貴布禰の禰宜が権禰宜に転じるというのは、賀茂の権禰宜になったのである。
解説
藤原頼長の日記台記から、賀茂社の神職の人事を記した一条を抜き出した段である。久寿元年、賀茂の禰宜が神主に、権禰宜が禰宜に、摂社である貴布禰社の禰宜が賀茂の権禰宜に昇り、空いた貴布禰の禰宜には賀茂氏の一族の者が補された。宣長は、ここから賀茂社に神主と禰宜という職の別があったこと、そして貴布禰の禰宜から権禰宜へ移るのは本社である賀茂の権禰宜に上がることだと読み取る。神職の位は摂社から本社へ、権職から正職へと順に昇る仕組みで、それが朝廷の蔵人頭を通じて伝えられていた。神社の運営が朝廷の人事と深く結びついていたことが分かる。組織の中の昇進の順路は、その組織の成り立ちをよく映し出している。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 祭に臨みて神主を定むる事左経記に、寛仁元年十一月三日丁酉、天晴る、祭事を行わんが為に、梅宮に参る云云、但し氏人等遅参す云云、仍て大膳少進従五位下上野朝臣広遠を以て、神主と為す云云(先例は氏人を以て神主と為す、而るに遅参す、仍て定め有りて、広遠を以て神主と為す)と有るを見れば、古は、祭に臨みて、神主と云うものを、定められたる事も有しなり。
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