韓非子 / 顯學第五十
故舉士而求賢智,爲政而期適民,皆亂之端,未可與爲治也。
新字:故舉士而求賢智,為政而期適民,皆乱之端,未可与為治也。
書き下し
故に士を舉げて賢智を求め、政を爲して民に適ふを期するは、皆亂の端にして、未だ與に治を爲すべからざるなり。
現代語訳
だから、人材を登用するのに賢さや智恵を求め、政治を行うのに民の気に入ることを目指すのは、どちらも乱れのもとであり、それによって治めることはできないのである。
解説
顕学篇の結びで、人材登用に「賢智」を求めることと、政治に「民の意に適うこと」を求めることを、ともに乱の端緒として退ける一句です。前の段までで、孔子でさえ容貌や弁舌で弟子を見誤ったこと、民は禹や子産の善政すらそしったことが示されました。人の見かけの賢さは当てにならず、民の好みは長期の利益を見ないから、どちらも統治の基準にならない、というのが韓非の結論です。今の組織でも、面接の印象だけで人を選ぶことや、社員の満足度だけを経営の指標にすることの危うさを示す言葉として読めます。基準は成果と仕組みに置け、という教えです。
この章句が説くこと
リーダーシップ人事ポピュリズム賢智民意意思決定
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