玉勝間 / 十の巻 ひゐな
人の形をちひさく作りて、わらはのもて遊ぶ物を、物語ぶみどもに、ひゐなと云へり。これはちひさく造れるを、鳥のひなになすらへて、云へる名にて、字も雛と書き、今の世の人も、ひなと云ふを、古くひゐなとしも云へるは、詩歌をしいか、四時をしいし、女房をにようばうと云ふ類ひにて、ひ文字を引て云ふなれば、假字はひいなと書べきを、ゐと書ヲるはたがへり。物の雛形と云ふもちひさく物したる由の名なり。
新字:人の形をちひさく作りて、わらはのもて遊ぶ物を、物語ぶみどもに、ひゐなと云へり。これはちひさく造れるを、鳥のひなになすらへて、云へる名にて、字も雛と書き、今の世の人も、ひなと云ふを、古くひゐなとしも云へるは、詩歌をしいか、四時をしいし、女房をにようばうと云ふ類ひにて、ひ文字を引て云ふなれば、仮字はひいなと書べきを、ゐと書ヲるはたがへり。物の雛形と云ふもちひさく物したる由の名なり。
書き下し
人の形をちいさく作りて、わらわのもて遊ぶ物を、物語ぶみどもに、ひいなと云えり。これはちいさく造れるを、鳥のひなになずらえて、云える名にて、字も雛と書き、今の世の人も、ひなと云うを、古くひいなとしも云えるは、詩歌をしいか、四時をしいし、女房をにょうぼうと云う類いにて、ひ文字を引きて云うなれば、仮字はひいなと書くべきを、ヰと書けるはたがえり。物の雛形と云うもちいさく物したる由の名なり。
現代語訳
人の形を小さく作って、子供が遊ぶものを、物語の書物に「ひいな」と言っている。これは小さく造ったものを鳥の雛になぞらえて言った名で、字も「雛」と書き、今の世の人も「ひな」と言うのを、古く「ひいな」と言ったのは、詩歌を「しいか」、四時を「しいし」、女房を「にょうぼう」と言う類いで、「ひ」の字を引き延ばして言うのであるから、仮名は「ひいな」と書くべきなのを、「ゐ」を使って「ひゐな」と書いているのは間違いである。物の「雛形」というのも、小さく作ったものという意味の名である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 仮字のさだ源氏物語梅枝の巻に、よろずの事、昔にはおとりざまに浅くなり行く世の末なれど、かんなのみなむ、今の世は、いときわなく成りたる。古きあとは、定まれるようには有れど、ひろき心ゆたかならず、一すじに通いてなむ有りける。たえにおかしき事は、とよりてこそ、書きいずる人々有りけれと云えり。このかんなと云えるは、いろは仮字の事なり。このかなは、空海ほうしの作れりと云うを、万の事、始めはういういしきを思うに、これも、出で来つる始めの程は、ただ用うるに便りよきかたをのみ事とはして、その書きざまの善き悪しきを云う事などまでは及ばざりけんを、ようやく世にひろく書きならいて、年をふるままに、書きままの善さ悪しさをも、さだする事にはなれりけむを、源氏物語作りし頃は、この仮字出で来てまだいとしも遠からぬ程なりければ、げにようやく、おかしくたえに書きいずる人の出で来べきころおいなり。
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『玉勝間』十一の巻 うぐひと云ふ魚の名川魚にうぐいと云う有り。今は一つの魚の名なれども、もとは鵜の喰いたる魚を云えるなるべし。神祇の伯顕仲朝臣の歌に、「かがり火の光にまがう玉藻にはうぐいのいおもかくれざりけり、鵜川の題なり。これ鵜のくう魚と聞こえたり。
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『玉勝間』十二の巻 童名に某丸と云ふ事同じ記に、寛仁三年二月十六日、千寿丸、家の侍所に於て元服を加えしむ、(名号は為時)と有り。童名になにがし丸と云う事、そのかみも有りしなり。
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『玉勝間』八の巻 かんなまんな仮字をカンナとは云うべし、真字をマンナと云えるは、ひがことなり。仮字は、もとカリナなれば、そのリを音便にンと云いて、カンナとは云うなるを、真字は、マンナと云うべきことわり無し、そはカンナにならいて、ゆくりなく、同じさまにンを添えたる物なり。
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『玉勝間』四の巻 ほととぎすを時鳥と書ク事文選の悲哉行という詩に、時鳥好音多しと有るは、春の事にて、春鳴くもろもろの鳥を、時鳥と云えるなり。さればほととぎすを時鳥と書くも、その鳴くころ、然か云えるが、ついに名のごと成れるにや。
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『玉勝間』四の巻 乙ノ字の事乙の字をオトと訓むは、オツちょう音なり。ただし甲乙を木の兄・木の弟と云うをもて思えば、弟の意にも有らむか。またヲトメに乙女と書くは、いづれにしてもひが事なり。ヲトメは、万葉に処女・未通女など書けり。仮字は乎なり。乙は、オツの音にても、弟の意にとりても、於の仮字なれば、ヲトメには、この字書くべきよし無し。
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