玉勝間 / 四の巻 ほととぎすを時鳥と書ク事
文選の悲哉行といふ詩に、時鳥多好音と有るは、春の事にて、春鳴もろもろの鳥を、時鳥と云へるなり。さればほととぎすを時鳥と書くも、その鳴ころ、然か云へるが、つひに名のごと成れるにや。
書き下し
文選の悲哉行という詩に、時鳥好音多しと有るは、春の事にて、春鳴くもろもろの鳥を、時鳥と云えるなり。さればほととぎすを時鳥と書くも、その鳴くころ、然か云えるが、ついに名のごと成れるにや。
現代語訳
文選の「悲哉行」という詩に「時鳥好音多し」とあるのは春のことで、春に鳴くさまざまな鳥を「時鳥」と言ったのである。だから、ほととぎすを「時鳥」と書くのも、その鳴く頃にそう言っていたのが、ついに名前のようになったのであろうか。
解説
ほととぎすを「時鳥」と書く由来を、文選の詩から推した短い一段である。文選に収める「悲哉行」に「時鳥好音多し」とあるが、宣長によればこれは春の詩で、時鳥は特定の鳥ではなく、季節が来て鳴くさまざまな鳥のことだという。そこから、ほととぎすもその季節に鳴く鳥として「時鳥」と呼ばれ、それがいつしか固有の名のように定着したのではないか、と推す。ほととぎすは和歌で夏の到来を告げる鳥として最も好んで詠まれた鳥の一つで、「子規」「杜鵑」「不如帰」などとも書かれる。当て字の由来をたどると、もとは普通の呼び方だったものが特定の物の名に転じたという、言葉の移り変わりが見えてくる。書き慣れた漢字表記の出どころを問う段である。
関連する章句
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