玉勝間 / 四の巻 乙ノ字の事
乙ノ字をオトと訓むは、オツてふ音なり。但し甲乙を木の兄木の弟と云ふをもて思へば、弟の意にも有らむか。又ヲトメに乙女と書は、いづれにしてもひが事なり。ヲトメは、萬葉に處女、未通女など書り。假字は乎なり。乙は、オツの音にても、弟の意にとりても、於の假字なれば、ヲトメには、此字書くべきよし無し。
新字:乙ノ字をオトと訓むは、オツてふ音なり。但し甲乙を木の兄木の弟と云ふをもて思へば、弟の意にも有らむか。又ヲトメに乙女と書は、いづれにしてもひが事なり。ヲトメは、万葉に処女、未通女など書り。仮字は乎なり。乙は、オツの音にても、弟の意にとりても、於の仮字なれば、ヲトメには、此字書くべきよし無し。
書き下し
乙の字をオトと訓むは、オツちょう音なり。ただし甲乙を木の兄・木の弟と云うをもて思えば、弟の意にも有らむか。またヲトメに乙女と書くは、いづれにしてもひが事なり。ヲトメは、万葉に処女・未通女など書けり。仮字は乎なり。乙は、オツの音にても、弟の意にとりても、於の仮字なれば、ヲトメには、この字書くべきよし無し。
現代語訳
「乙」の字を「オト」と訓むのは、「オツ」という字音からである。ただし、甲乙を「木の兄」「木の弟」と言うことから考えると、「弟(おと)」の意味でもあろうか。また「ヲトメ」に「乙女」と書くのは、いずれにしても誤りである。「ヲトメ」は、万葉集に「処女」「未通女」などと書いている。仮名は「乎(を)」である。「乙」は、「オツ」の音からとっても、「弟」の意味にとっても「於(お)」の仮名になるので、「ヲトメ」にこの字を書くべき理由はない。
解説
関連する章句
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