玉勝間 / 十の巻 辛崎の松
滋賀の辛崎の松は、さいつころ大風にたふれて、かたも殘らずなりにしを、大津の御城の預り、新庄駿河守直賴の弟に、松菴東玉、雜齋直壽とて、二人有けるが、此松の事を、つねづね口惜しく思ひしを、弟の雜齋、つひに風情ある松を尋ねえて植けり。天正十九年秋のことなりき。此事尊朝法親王の書かせ給へる、かの松の記に見えて、扶桑拾葉集にのせられたり。今の松は、これなめり。
新字:滋賀の辛崎の松は、さいつころ大風にたふれて、かたも残らずなりにしを、大津の御城の預り、新庄駿河守直頼の弟に、松菴東玉、雑斎直寿とて、二人有けるが、此松の事を、つねづね口惜しく思ひしを、弟の雑斎、つひに風情ある松を尋ねえて植けり。天正十九年秋のことなりき。此事尊朝法親王の書かせ給へる、かの松の記に見えて、扶桑拾葉集にのせられたり。今の松は、これなめり。
書き下し
滋賀の辛崎の松は、さいつころ大風にたおれて、かたも残らずなりにしを、大津の御城の預り、新庄駿河守直頼の弟に、松菴東玉、雑斎直寿とて、二人有りけるが、この松の事を、つねづね口惜しく思いしを、弟の雑斎、ついに風情ある松を尋ねえて植えけり。天正十九年秋のことなりき。この事尊朝法親王の書かせ給える、かの松の記に見えて、扶桑拾葉集にのせられたり。今の松は、これなめり。
現代語訳
滋賀の唐崎の松は、先頃大風で倒れて跡形も無くなってしまったが、大津城の城代である新庄駿河守直頼の弟に、松菴東玉・雑斎直寿という二人がいて、この松のことを常々残念に思っていたところ、弟の雑斎が、ついに風情のある松を探し当てて植えた。天正十九年の秋のことであった。このことは尊朝法親王がお書きになった、あの松の記に見えていて、扶桑拾葉集に載せられている。今の松はこれであろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』三の巻 五十師原山辺御井もと水有りしが、近き頃となりては、あせて、水は無かりけれど、此一とせ二とせさきまでは、井のかたは残れりしと云うを見れば、今は井のかただにのこらず、皆田に成りて、唯だいささかなる所に、古き松一もと立てるのみなるを、此松の本なん、御井の跡なると云えり。その近き里に、八十八になれりという翁のあるが、語りけるは、此松、おのが若かりしほどに、年老いたる者の、昔も今も同じ事にて、かわらずと云いしを、その頃も今も、又いささか変れる事無く、高くも太くもならず、ただ同じ事なりとぞ語りける。今見るに、さしも大きなる木にも有らず。よろしき程にて、まことに古くは見えたり。今より後、もし此松さえ枯れ失せたらんには、さばかりの御井の、名残りだになく、消えはてなん事、いともいとも心うく、うれわしきわざなれば、いかで石ぶみなどを建てて、跡をだに、長き世まで残さまほしきわざなりかし。さて又かの赤人屋敷と云う所より、東北の方へくだれる所にも、古く見ゆる井有り、山辺村の東南のはずれの所なり。こは世のつねの井のさまに、石を積みめぐらして、水も有り、此水、いみしきひでりにもかれずと里人云えり。
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『玉勝間』十一の巻 志摩国の名どころしまの国の事をしるせる、志陽略志と云う物に、苧生浦、今浦村と称す。釈円位曰く、鳥羽より以東二里に、江村有り、今の浦本浦と謂う、その本浦は、苧生浦なりと云云。この地に七絶有り、曰く麻を蒔かず、曰く蛙鳴かず、曰く蔣を刈らず、曰く片枝の梨、曰く石面の鏡、曰く逆流の川、曰く四季の桜、(桜崎に在り)これなり。或いは曰く四季の鷺なりと、未だ孰れか是なるを知らず。また伊良湖崎、伊良湖村に在り。この地は、三河国渥美郡なり。この地神島を去ること二里、近きを以て志摩国に混ず。今その海は、志州の有なり。また磯良崎、桃取村に在り、円位曰く、この島の南に突き出づる所、礒良崎と曰うなるか。また佐堤崎、坂手村を謂うなり。或いは曰く、倭姫世記に所謂佐加太伎島は、今の坂手村なり。
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『玉勝間』八の巻 但馬国の城の崎のいでゆ増鏡に、安嘉門院、丹後のあまのはし立御覧じにとて、おわします。それより但馬のきのさきのいで湯めしに、くだらせ給うと有り。此温泉、その程より、名高かりけむ。
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『玉勝間』十の巻 京極ノ中納言の墓又時雨の亭の事同じ人の、ひえの山にもうでたる詞にいわく。貫之のぬしの塚は、かしこのしかしか聞ゆる所に有りと云いたるを、定かに知れるも無くて、見ずなりにけるぞ、いといと名残りがちに、ほい無くなん。定家卿のも有りと云えれど、それはひがことにて、まことは九重のかたわら、柳原のほとり、今の相国寺のうちに、時雨の亭も有りしとぞ。長禄の頃おい、年毎の八月廿日には、すいたる人々、秋のなかばも過ぎぬべしと云う句を、一もじずつ初めに置きて、歌よみとぶらいしも、この所なるべし。
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『玉勝間』十四の巻 またこれから国にさようの松の、一種有るにはあらず。ただ世のつねの松なるを、書きさまの拙きなり。然るをよきことにして、守りて書き伝えたるはいとおかし。大かたもろもろの絵の中に、うるさく心づきなきは、拙く書ける墨絵、このから松、人物の衣の折目の筋ふとき、さてはだるま、布袋、福禄寿など云うもののかた、すべてこれら、一目見るもうるさく、二度と見やらんとも覚えずなん。大かた旧き定めを守るは、いと善き事なれども、そは事により、物にこそよるべけれ。絵などは必ずしも然るべからず。他の善きを見て、うつる事あたわざるはいとかたくななり。されど又、家の法と云う中に、いといとよろしく、まことに、屋上を去りて内を見する事、雲をへだてて遠近をわかつ事、さるべき事にて、その法にはずれては、いと悪しき事も多くして、今時の心にまかせて書き散らす絵どもの、及びがたき事も多かりかし。又今の世に、もろこしのふりとてまねびたるさまざま有り。その大かたは、まず何を書くにも、まことの物のようをよく見てまねび書く、これを生うつしとか云う。こはまことによろしかるべく覚ゆることなり。
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