玉勝間 / 十の巻 歌の題の望の字のよみ
歌の題に夕望など有る、望の字はのぞみと訓むべきにや。續世繼に、ことところのゆふべののぞみよりも、難波のあしでと見えむ、げにときこえ侍りと有り。
新字:歌の題に夕望など有る、望の字はのぞみと訓むべきにや。続世継に、ことところのゆふべののぞみよりも、難波のあしでと見えむ、げにときこえ侍りと有り。
書き下し
歌の題に夕望など有る、望の字はのぞみと訓むべきにや。続世継に、ことところのゆうべののぞみよりも、難波のあしでと見えむ、げにときこえ侍りと有り。
現代語訳
歌の題に「夕望」などとある「望」の字は、「のぞみ(眺め)」と訓むべきであろうか。続世継(今鏡)に、「ほかの所の夕べの眺めよりも、難波の葦手(あしで)と見えるだろう、なるほどと思われました」とある。
解説
歌の題に使われる「望」の字の読み方を考えた短い段である。「夕望」「遠望」のような題は漢詩にならったもので、音読みされることもあった。宣長は、和語で「のぞみ」、つまり遠くを眺めることと訓むべきではないかと考え、平安後期の歴史物語である続世継(今鏡)に「夕べののぞみ」という言い方が見えることを証とする。今の「望み」は願い事の意味が強いが、もとは遠くを見やる「眺め」の意味だったことが、この用例からも分かる。題の漢字をどう読むかは、歌を詠む心構えにも関わる問題である。漢字の題を和語で受け止め直すことで、漢詩の借り物ではなく日本の歌として詠めるようになる。小さな読みの問題にも、漢字の背後にある和語を大切にする宣長の考えが一貫している。
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