玉勝間 / 四の巻 為兼卿の歌の事
それ歌は、心をたねとして、心をたねとせず、心すなほにして、心すなほにせず、ことばを離れて、ことばを離れず、風情をもとめて、風情をもとめず、姿をならひて、姿をならはず、古風をうつして、古風をうつさざる事にてなん侍る、と申すに云云。
書き下し
それ歌は、心をたねとして、心をたねとせず、心すなおにして、心すなおにせず、ことばを離れて、ことばを離れず、風情をもとめて、風情をもとめず、姿をならいて、姿をならわず、古風をうつして、古風をうつさざる事にてなん侍る、と申すに云々。
現代語訳
「そもそも歌というものは、心を種としながら心を種とせず、心を素直にしながら心を素直にせず、言葉を離れながら言葉を離れず、風情を求めながら風情を求めず、姿を習いながら姿を習わず、古風を写しながら古風を写さないものなのでございます」と申すと、云々。
解説
前段で僧が為兼の誤りを詳しくは言えないとして示した「略頌」の本文である。歌は心を種としつつ心を種とせず、心を素直にしつつ素直にせず、言葉を離れつつ離れず、風情を求めつつ求めず、姿を習いつつ習わず、古風を写しつつ写さない、と対句を重ねる。古今集の仮名序が「やまとうたは、人の心を種として」と説いたのを踏まえながら、どれか一方に偏れば歌は損なわれる、という中道の理を説いたものである。宣長は評を付けずに引いているが、古風を学んで古風を写すだけで終わらない、という最後の一句は、万葉ぶりや古今ぶりを学びつつ自分の歌を詠もうとした宣長の歌の考えとも響き合う。型を学んで型に縛られないことの難しさを言い当てた言葉である。
関連する章句
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