玉勝間 / 八の巻 郭公にをちかへりとよむ言
又常に郭公の歌に、をちかへり鳴と詠むも、本の所へ又かへり來て鳴くを云ふなり。此詞の意、右の歌どもを引合せて、互ひにあひ照らして知るべし。
新字:又常に郭公の歌に、をちかへり鳴と詠むも、本の所へ又かへり来て鳴くを云ふなり。此詞の意、右の歌どもを引合せて、互ひにあひ照らして知るべし。
書き下し
又常に郭公の歌に、をちかえり鳴と詠むも、本の所へ又かえり来て鳴くを云うなり。此詞の意、右の歌どもを引合せて、互いにあい照らして知るべし。
現代語訳
また、いつも郭公(ほととぎす)の歌に「をちかえり鳴く」と詠むのも、もとの所へまた返ってきて鳴くことを言うのである。この言葉の意味は、右の歌々を引き合わせて、互いに照らし合わせて知るべきである。
解説
前段の「をち」の考証を受けて、ほととぎすの歌の決まり文句「をちかへり鳴く」にも同じ意味を当てはめた短い段である。「をちかへり」は、ほととぎすが飛び去ってはまた元の所へ戻ってきて鳴くことをいう、と宣長は解く。ほととぎすの歌で「をちかへり鳴く」と詠むのは、繰り返し鳴くさまをいう決まった言い回しとして長く受け継がれてきた。宣長は、一つの語の意味を、若返る、鷹が手に戻る、花が繰り返し咲く、鳥が戻って鳴くと、さまざまな場面の用例を「互いにあい照らして」確かめよという。一例だけで意味を決めず、複数の用例が一つの意味で矛盾なく説明できるかを試すのが、宣長の考証の基本である。短い付記だが、言葉を用例の網の目で捉える方法がよく表れている。自分の解釈を別の場面に当てはめて確かめる習慣は、どんな学びにも役立つ。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 言の然云ふ本の意を知らまほしくする事たとい其もとの意は、よく明らめたらむにても、いかなる所に使いたりと云う事を知らでは、何のかいも無く、おのが歌文に用うるにも、ひがことの有るなり。今の世古学をするともがらなど殊に、すこし遠き言と云えば、まず然云う本の意を知らむとのみして、用いたる意をば、考えむともせざる故に、おのが使うに、いみじきひがことのみ多きぞかし。すべて言は、然云う本の意と、用いたる意とは、多くは等しからぬ物なり、たとえばなかなかにと云う言はもと、こなたへもかなたへも附かず、中間なる意の言なれども、用いたる意はただ、なまじいにと云う意、又移りては、かえりてと云う意にも用いたり。然るを言の本によりて、打まかせて、中間なる意に用いては、たがうなり。又心ぐるしと云う言は、今の俗言に、気毒なると云う意に用いたるを、言のままに、心の苦き事に用いては、たがえり。されば是等にて、万の言をも、なずらえ心得て、まず古えに用いたるようを、さきとして、明らめ知るべし、言の本にのみよりては、中々に古えにたがう事多かるべしかし。
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