玉勝間 / 十の巻 おのが帰鴈のうた
歸鴈の題にておのれ、「春くれば霞を見てやかへる鴈われもと空に思ひたつらむ、いまひとつ、「かへるかりこれも越路の梅香や風の便りにさそひそめけむ、と詠めりける、後なるをよく思へば、末の二句に、鴈の緣無くて、いかにぞや覺えければ、又とかく思ひめぐらして、「梅が香やさそひそめけむ歸る鴈これも越路の風のたよりに、となん詠み直しける。これはしも、こしぢを末の句に移したるにて、鴈の緣はさる事ながら、歌ざまは、いささかおとりて覺ゆるは、いかならむ。歌よく見知れらむ人、さだめてよ。
新字:帰鴈の題にておのれ、「春くれば霞を見てやかへる鴈われもと空に思ひたつらむ、いまひとつ、「かへるかりこれも越路の梅香や風の便りにさそひそめけむ、と詠めりける、後なるをよく思へば、末の二句に、鴈の縁無くて、いかにぞや覚えければ、又とかく思ひめぐらして、「梅が香やさそひそめけむ帰る鴈これも越路の風のたよりに、となん詠み直しける。これはしも、こしぢを末の句に移したるにて、鴈の縁はさる事ながら、歌ざまは、いささかおとりて覚ゆるは、いかならむ。歌よく見知れらむ人、さだめてよ。
書き下し
帰雁の題にておのれ、「春くれば霞を見てやかえる雁われもと空に思いたつらむ、いまひとつ、「かえるかりこれも越路の梅香や風の便りにさそいそめけむ、と詠めりける、後なるをよく思えば、末の二句に、雁の縁無くて、いかにぞや覚えければ、またとかく思いめぐらして、「梅が香やさそいそめけむ帰る雁これも越路の風のたよりに、となん詠み直しける。これはしも、こしじを末の句に移したるにて、雁の縁はさる事ながら、歌ざまは、いささかおとりて覚ゆるは、いかならむ。歌よく見知れらむ人、さだめてよ。
現代語訳
「帰雁」の題で私は、「春が来ると霞を見て、帰る雁は自分もと空に旅立とうと思うのだろうか」と詠み、もう一首、「帰る雁よ、これも越路(北陸への道)の梅の香が、風の便りに誘い始めたのだろうか」と詠んだが、後の歌をよく考えると、下の二句に雁の縁(縁語)が無くて、どうかと思われたので、またあれこれ思いめぐらして、「梅の香が誘い始めたのだろうか。帰る雁は、これも越路の風の便りによって」と詠み直した。これは「越路」を下の句に移したもので、雁の縁は整ったものの、歌の姿はいささか劣って思われるのは、どうだろうか。歌をよく見分けられる人よ、判定してほしい。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 歌を思ふほどにある事歌よまむとて、思いめぐらす程、一ふし思い得たる事の有るに、心のごと云いととのえ難くて、時うつるまで思い、或るは日を重ねても、同じすじにかかずらいてとかく続けみれども、ついに事ゆかぬ事あるものなり。さるおりは、そのふしをば、きよく捨てて、さらにほかに求むべきわざなるを、さすがに惜しく、捨て難くて、あかずは覚えながら、いかがはせむに、しいて綴り出でたる、いと心ぎたなきわざには有れども、誰もよく有ることなり。またさように久しく思いわずらいたる程に、そのかかずらえるすじには有らで、思いかけぬよき事の、ふとかたわらより出で来て、たやすく詠み出でらるる事も有りかし。されどそれも、深く思い入りたるから、さるよき事も出で来るにて、初めよりのいたつきの、いたずらになれるには有らずなむ。そもそもこれらは、ようも無きあだことなれども、思い出でたるままに、書き出でたるなり。
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『玉勝間』十の巻 千鳥にをちかへりと詠める歌おちかえりと云う事は、大かた郭公ならでは詠まぬようなるに、拾遺集雑上に能宣、「暁のねさめの千鳥たがためか佐保の川原におちかえりなく、と有り。続後拾遺集冬にも、六条の内大臣、「明石がたとわたる千鳥おちかえりいく浦浪をかけて鳴らん、これは拾遺なる歌によりて、詠み給えるにや。右の歌どもの外にも有るべきか、今は見あたりたるを出せるのみなり。閏五月郭公と云う題にて、俊頼の朝臣、「やよやまたきなけみそらの時鳥五月だにこそおちかえりつれ、新勅撰集に入れり。これは郭公によりたれど、五月をおちかえりと詠めり。
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『玉勝間』一の巻 家隆卿のことばいえたかの二位の云われしは、歌はふしぎの物にて候なり。きとうち見るに、面白く悪しからずおぼえ候えども、次の日またまた見候えば、ゆゆしく見ざめのし候。これを善しと思い候けるこそふしぎに候え、などおぼゆる物にて候云々、とぞ云われける。誠にさる事なり。
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『玉勝間』十の巻 巻頭(山菅十)はてもなし云うべき事は云えど云えどなおやますげの乱れあいつつ。この野べのすさびよ、いとかくはかなき手習いを、ものものしく、巻ごとに名つけて、歌をさえに添えたるは、我ながらだに、あやしく覚ゆるを、おのずからも見む人は、まして如何にことごとしと思うらん。さるは初めの巻のはしに、ゆくりかに歌一つ物して、巻の名つけつるままに、つぎつぎも一つ二つ然かせしが、おのずから習いになりて、必ずさらでは得あらぬわざの如なりもてきぬるを、今さらにたがえむも、さすがにて、例のごと物するになむ。そもそのおりおり、思いうるままに、詠み出でもし、あるいは他事に詠みたるが有るをも、取り出でなどするを、につかわしく覚ゆるも、無きおりなど、今書かむとすとては、筆とりながら、思いめぐらすに、例の口おそさは、とみにも出でこで、しりくわえ勝ちなるも、あじきなく物くるおしきわざになん。この山菅も、かろうじてほり出でたる、さる歌のきたなげさよ。
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうかくてそのふみ、はじめに一わたり見しには、さらに思いもかけぬ事のみにして、あまり事とおく、あやしきように覚えて、さらに信ずる心はあらざりしかど、猶あるよう有るべしと思いて、立ちかえり今一たび見れば、まれまれには、げにさもやと覚ゆるふしぶしも出で来ければ、また立ちかえり見るに、いよいよげにとおぼゆる事多くなりて、見るたびに信ずる心の出で来つつ、つひに古ぶりのこころことばの、まことに然る事をさとりぬ。かくて後に思いくらぶれば、かの契沖が万葉の説は、猶いまだしき事のみぞ多かりける。おのが歌まなびの有りしよう、大かた斯くの如くなりき。
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『玉勝間』十一の巻 うひ学びの輩の歌よむさま今の世にういまなびのともがらの、詠み出でたる歌は、聞こえぬ処を、聞こゆるさまにとりなおさば、古人の歌と、もはら同じくなること、常にあり。これさるべき事なり。いかにと云うに、ういまなびの程は、おおかた題をとりぬれば、まず昔の善き歌の集の中の、その題の歌どもを見て、その中の一つによりて、ここかしこ少しずつ詞を加えて、綴りなすならいなるを、大かた古人の善き歌は、その詞みな、必ず然云わではかなわぬさまにて、おおかた一もじも加え難き物なるを、いまだしき者の、心も得ず、ここかしこと替えぬれば、かえたる所の、必ずととのわぬわざなる故に、歌よく心得たる人の見て、そをととのうさまに引きなおせば、必ずまた本の古歌とひとしくはなるなり。さてさように古歌ともはら同じくては、新たに詠めるかい無きようなれども、うい学びの程のは、後まで、詠める歌数に入るべきにも有らざれば、そはとてもかくても有りぬべし。歌のさまこころえむ学びのためには、しばらくただおいらかにて、上の件のごとしたらむぞ善かるべき。さるを始めよりさかしだちて、人のふるさぬ珍しきふしを詠まむとせば、なかなかによこさまなる悪しき道にぞ、まどい入りぬべき。
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