玉勝間 / 十の巻 たまよばひ
野府記云、萬壽二年八月七日丙辰云云、昨夜風雨間、陰陽師恒盛、右衛門尉雅孝、昇東對上、(尙侍、住所)魂呼、近代不聞事也。是れいにし五日に、尙侍嬉子のかくれられし時の事なり。對上の間に、屋ノ字おちたるか。善本を考ふべし。
新字:野府記云、万寿二年八月七日丙辰云云、昨夜風雨間、陰陽師恒盛、右衛門尉雅孝、昇東対上、(尚侍、住所)魂呼、近代不聞事也。是れいにし五日に、尚侍嬉子のかくれられし時の事なり。対上の間に、屋ノ字おちたるか。善本を考ふべし。
書き下し
野府記に云う、万寿二年八月七日丙辰云々、昨夜風雨の間、陰陽師恒盛、右衛門尉雅孝、東の対の上に昇りて、(尚侍の住所)魂呼す、近代聞かざる事なり。これいにし五日に、尚侍嬉子のかくれられし時の事なり。対の上の間に、屋の字おちたるか。善本を考うべし。
現代語訳
野府記(小右記)にいう。「万寿二年八月七日丙辰云々。昨夜、風雨の中、陰陽師の恒盛と右衛門尉の雅孝が、東の対の上に昇って(尚侍の住まいである)、魂呼(たまよばい)をした。近頃は聞かないことである。」これは去る五日に、尚侍嬉子が亡くなられた時のことである。「対」と「上」の間に「屋」の字が落ちたのであろうか。善本で考えるべきである。
解説
藤原実資の日記小右記(野府記)から、魂呼び(たまよばい)の記事を抜き出した段である。万寿二年、藤原道長の娘で東宮妃の尚侍嬉子が、後の後冷泉天皇を産んだ直後に亡くなった。その二日後、風雨の夜に陰陽師らが住まいの東の対の屋根に登り、去った魂を呼び戻す儀式を行ったという。屋根の上から死者を呼んで魂を呼び返すのは古い習俗で、実資はそれを「近代聞かざる事なり」と、すでに廃れかけた風習として書き留めている。死者の魂がまだ近くにいて、呼べば戻るかもしれないと考えた古代の人々の心が、この短い記事にこもっている。権勢を極めた道長の家でも、娘を失った悲しみの前では古い習俗にすがったことが分かり、胸を打つ。
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