玉勝間 / 十の巻 仏法僧と云ふ鳥
同書に、後夜聞佛法僧鳥詩、閑林獨坐草堂曉、三寶之聲聞一鳥、一鳥有聲人有心、聲心雲水倶了了。
新字:同書に、後夜聞仏法僧鳥詩、閑林独坐草堂暁、三宝之声聞一鳥、一鳥有声人有心、声心雲水倶了了。
書き下し
同じ書に、後夜に仏法僧鳥を聞く詩、閑林に独り坐す草堂の暁、三宝の声一鳥に聞く、一鳥声有り人心有り、声心雲水倶に了了たり。
現代語訳
同じ書(性霊集補闕抄)に、「後夜(夜明け前)に仏法僧鳥を聞く」という詩がある。「静かな林の草堂に独り坐っている明け方、仏・法・僧の三宝の声を一羽の鳥に聞く。鳥には声があり、人には心がある。鳥の声も人の心も、雲も水も、みなありありと明らかである。」
解説
同じく性霊集から、空海が夜明け前に「仏法僧」と鳴く鳥の声を聞いて作った漢詩を引いた段である。静かな林の草堂に独り坐っていると、一羽の鳥が三宝の名を唱えるように鳴く。鳥には声があり自分には心があって、声も心も、雲も水も、すべてが明らかに澄みわたる、という境地を詠む。高野山は古くから仏法僧鳥の名所として知られ、前段の高野開創の表に続けてこの詩を置いたのだろう。なお、ブッポウソウと鳴くのは実は夜に鳴くコノハズクであることが昭和になって確かめられ、姿の美しいブッポウソウとは別の鳥だと分かった。宣長の時代には知られていなかったことである。鳥の声を仏の教えと聞いた古人の耳と、正体を突き止めた後世の観察と、どちらも自然に向き合う一つの姿である。
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 高野山性霊集補闕に云う、紀伊国伊都郡高野の峰に於て入定の所を請い乞わるる表に曰く、空海少年の日、好んで山水を渉覧す、吉野より南に行くこと一日、更に西に向いて去ること両日程、平原の幽地有り、名づけて高野と曰う、計るに紀伊国伊都郡の南に当たる、四面高嶺にして、人蹤蹊を絶つ、云々。
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『玉勝間』十の巻 定家ノ中納言の詩明月記、建仁元年十月、上皇熊野御幸の供奉の所に、十五日午の時ばかり、発心門に着き、南無房の宅に宿る。この道の間、常に筆硯を具せず、また思う所有りて、未だ一事をも書かず。この門の柱に、始めて詩一首を書く、(角柱を異にす、閑所なり)慧日の光の前に罪根を懺い、大悲の道の上の発心門、南山の月の下の結縁の力、西刹の雲の中に旅魂を弔う。
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『玉勝間』六の巻 鳥無き里のかはほり和泉式部家集に、「人も無く鳥も無からん島にてはこのかわほりも君もたずねむ。「うらさびて鳥だに見えぬ島なればこのかわほりぞうれしかりける。鳥無き里の蝙蝠と云うたとい言、そのかみより有りけるにこそ。
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『玉勝間』十の巻 千鳥にをちかへりと詠める歌おちかえりと云う事は、大かた郭公ならでは詠まぬようなるに、拾遺集雑上に能宣、「暁のねさめの千鳥たがためか佐保の川原におちかえりなく、と有り。続後拾遺集冬にも、六条の内大臣、「明石がたとわたる千鳥おちかえりいく浦浪をかけて鳴らん、これは拾遺なる歌によりて、詠み給えるにや。右の歌どもの外にも有るべきか、今は見あたりたるを出せるのみなり。閏五月郭公と云う題にて、俊頼の朝臣、「やよやまたきなけみそらの時鳥五月だにこそおちかえりつれ、新勅撰集に入れり。これは郭公によりたれど、五月をおちかえりと詠めり。
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『玉勝間』四の巻 ほととぎすを時鳥と書ク事文選の悲哉行という詩に、時鳥好音多しと有るは、春の事にて、春鳴くもろもろの鳥を、時鳥と云えるなり。さればほととぎすを時鳥と書くも、その鳴くころ、然か云えるが、ついに名のごと成れるにや。
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『玉勝間』十一の巻 高野の玉川のうた弘法大師の歌とて、「忘れてもくみやしつらむ旅人の高野のおくの玉川の水、と云う歌は、後の人の偽りて作れるものなり。空海の頃の歌のさまにあらず。そのうえ二の句、後の人をいましめたる意なれば、くみやせむと、こそ云うべきに、さは云い難き故に、しつらむと云えるなれど、この詞かなわず、しつらむは、汲みやしけむと、過ぎし方を思える詞なればなり。汲みやしぬべきなどは、など詠まざりけむ。すべてべきべしと云うべき事を知らずして、必ず然いうべき所をも、らむと云うは、後の世の人のつねなり。この歌風雅集に入れる、詞書に、云云この流れを飲むまじき由を、しめしおきて後、よみ侍りけるとあるは、しつらむと云う言を、しいてたすけむとて、かくは記されたるなるべけれど、しめしおきて後に詠める意にはあらず。よみ人の心は、今より後もし汲みやせむの意に云えるなり。
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