玉勝間 / 十の巻 畿内七道のよみ又郡司のよみ
然ればコホノミヤツコとは、郡司をいづれも云ふべく、大領は、オホイコホノミヤツコと有るぞ、あたりて聞えたる。書紀の訓、大領は、コホリノミヤツコとも、オホミヤツコとも、コホノミヤツコとも有り。おほみやつこは、いかがなる訓なり。少領はスケノミヤツコ。
書き下し
然ればコホノミヤツコとは、郡司をいずれも云うべく、大領は、オホイコホノミヤツコと有るぞ、あたりて聞えたる。書紀の訓、大領は、コホリノミヤツコとも、オホミヤツコとも、コホノミヤツコとも有り。おおみやつこは、いかがなる訓なり。少領はスケノミヤツコ。
現代語訳
そうであれば「コホノミヤツコ(郡造)」とは郡司のどれをも言うことができ、大領は「オホイコホノミヤツコ(大いなる郡造)」とあるのが当たっていると思われる。日本書紀の訓では、大領は「コホリノミヤツコ」とも「オホミヤツコ」とも「コホノミヤツコ」ともある。「おおみやつこ」はどうかと思われる訓である。少領は「スケノミヤツコ」である。
解説
郡司の和名についての結論である。「こおのみやつこ」は郡を治める者を広く指す呼び名なので郡司全体に通じ、その長官である大領は「おおいこおのみやつこ」、次官の少領は「すけのみやつこ」と呼ぶのが筋に合う、と宣長は整理する。書紀の古訓に見える「おおみやつこ」は、郡の意が落ちていて適切でないと退ける。大領・少領は律令制で郡を治めた在地の有力者の役職で、多くは古くからの国造の家柄から任じられた。「みやつこ」という呼び名に、律令以前の国造の伝統が残っているのである。四段にわたる考証は、儀式書の片隅の振り仮名からでも、古代の言葉と社会のしくみが読み取れることを示している。
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 官名の事中昔の書どもには、おおきおおいもうちぎみ、またはおおきおとどなど云えるは、右の訓あまり長き故に、政の字をのぞきたる訓なり。また左右大臣は、於保伊万智岐美と有るも、官名につきてもうけられたる訓なり。ただし万豆岐美、万宇智岐美は、古の称にて、麻都岐美なるを、音便に然か云うなり。まえつぎみと云う事、書紀の景行の巻の歌に見えたり。さて和名抄には、右のごとく万宇智岐美と有るを、北山抄・江次第などに、末布知君・万不地起牟多地など書かれたるは、布不は仮字たがいたり。すべて音便に宇と唱うるは、みな宇の仮字なりと心得べし。大納言・中納言・参議・少納言、みな漢字を以てつけられたる官にて訓は字につきてもうけたるなり。弁は於保止毛比、これは上つ代よりの官名と聞こえたり。意はいかなるにか、いまだ考え得ず字もいかなる意をもてあてられたるにか、さだかならず。西宮記・北山抄・小右記などに、大輌火之官と書かれたるは借り字なり。外記・内記・大史・少史・史生・官掌など、皆漢ざまなり。もろもろのつかさの長官を、美加と云うは古なり。次官を須気と云うも古きか、判官を万豆利古止比止と云うは、もうけたる訓なり。佐官は訓見えず。
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『玉勝間』六の巻 国造いにしえに国造と云いしは、今の世のごと、大きにこそ有らざりけめ、大かた何事も、大名のごとくなる物にて、国々に多く有りしなり。それが中に、国造、また君、また別、また直、また稲置、また県主など云う、色々の有りて、尊き卑しきけじめも有りつるを、そのけじめは、さだかに記せる物無ければ、いずれ尊く、いずれ卑しかりけむ。今ことごとくは、わきまえがたけれど、大かたは皆、国造と同じさまなる物にて、この色々を一つにすべても、国の造と云えりき。書紀などに、伴造国造などあるは、かの色々をすべて、一つに国の造と云えるなり。さてもろこしの国にも、古え封建の制とか云いし代の、諸侯と云う物、これによく似たり。その諸侯に、五等の爵とて、公侯伯子男と、五きざみのしな有りし、それはた国の造、君、別などの色々有りしに似たり。その五しなの中の一つの名をとりて、すべて諸侯と云いしも、またすべてをも国の造と云いしに似たり。もろこしの事は、かの国の学びするともがらは、この諸侯の、五しなの事など、誰もよく知れるを、皇国の古えのさまをば、かえりてよく知れる人無くて国の造の中に、かのくさぐさのしな有りしをも知らず、またかの色々は、いかなるさまの物なりしとも知らで在るは、いかにぞや。
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『玉勝間』十の巻 畿内七道のよみ又郡司のよみ西宮記郡司の読奏の条に、東海道(ウチヘツミチ、ウヘツアチ、またヒウガシノウミノミチ、)東山道(ヒウガシノヤマノミチ、またヒウガシノミチ、またウメツアチ、)北陸道(クルカノアチ、またキタノアチ、ヤマノアチ、)山陰道(止モノアチ、またカゲ止モノアチ、)山陽道(カゲトモノアチ、また曾トモノミチ、)南海道(ミナミノミチ、またミナミノウミノミチ、)西海道(ニシノミチ、またニシノウミノミチ、)大領(古保乃見ヤツ古)少領(爪ケノ見ヤツ古、また爪ケミヤツコ、)と見え、北山抄には、畿内(宇治都久仁)東海道(宇女都美チ、また宇倍都道)東山道(山乃道、また東乃道)北陸道(久流加乃道)山陰道(曾止毛乃道、旧説加介止毛乃道)山陽道(加介止毛乃道、旧説曾止毛乃道)南海道(南乃道)西海道(西乃道)大領(古本乃ミヤツ古、また大古本乃ミヤツ古)少領(須介乃ミヤツ古)領(古本乃ミヤツ古、或る説に大領於本イミヤツ古、領ミヤツ古、今の説尺上是式部例数)国擬(久仁安天申利)擬大少領(加利乃-)自(音読)朝集使(朝集乃使)と見えたり。この二つの書を合わせて考うるに、西宮記の方に、東海道を、ウチベツミチと有る、上のチは、写し誤りにて海辺つ道なるべし、へもじ濁るべし。ウベツアチは、うみべのみを省きたるにて、これも海辺つ道なるべし。アチは、即ち道なり。
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『玉勝間』一の巻 官名の事もろもろの官名の中に、上つ代より、まさしく官職の名にて有りしに、漢字を後にあてたるも有り。また名は古くて、まさしく官名になれるは後なるも有り。また漢字をもて、新たに造りて、それに訓を附けたるも有り。今是等のわきためをいささか云わむに、まづ大臣は、いにしえは意富於美と唱えて、臣と云う尸に、大と云う言を加えて、たふとみたる号なり。さる故にこの号は、臣の尸なる姓の人にかぎれり。大連も同じ事にて、連の尸の姓の人に賜いし号なり。然るに古の大臣・大連を、官と心得たるはたがえり。大臣をまさしく官名とせられしは、孝徳天皇の御世にて、始めて左右の大臣をおかれたり。これより臣の姓に限らず、他尸の姓の人も成れり。さて天智天皇の御世に、内大臣また太政大臣はじまる。そはもと大臣と云える古の号を、やがて用いられたる官名なるに、左と云い右と云い、太政と云うは、みな漢のにならいたるなづけざまにして、古ざまにはあらず。さて和名抄に、太政大臣は於保万豆利古止乃於保方豆岐美と有るは、字につきてもうけられたる訓なり。
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『玉勝間』十の巻 畿内七道のよみ又郡司のよみまた二書ともに、山陰道にカゲトモノミチ、山陽道にソトモノミチと有る説は、ひがことなり。かげともは影面にて、南を云い、そともは背面にて北なるを、さる意をも知らぬ人の、陰の字によりて、ゆくりなくさかしらに入れ替えたるなるべし。さてまた東海道は、ヒウガシノウミノミチ、東山道はヒウガシノヤマノミチなど有るぞ、字にあたりて、正しきさまに聞ゆめれど、このたぐいは、なかなかに後の訓にて、東海道は、ウメツミチなど云い、東山道は、東の道また山の道と云い、北陸道は、クルガ道またキタノ道と云い、南海道はミナミノ道、西海道はニシノ道と云えるぞ、かえりて正しかるべき。こは互にまぎるる事無きかぎりは、言を省きて、つづまやかに短く定めたるものと聞ゆればなり。書紀の巻々に見えたる訓も、畿内はウチツクニ、東海道は、ウベツミチ、またウミツミチとも、東山道は、ヤマノミチ、またアヅマノヤマノミチとも、北陸道は、クヌガノミチ、またクニガノミチ、またクムカノミチ、またクルガノミチとも、山陰道は、ソトモノミチ、山陽道は、カゲトモノミチ、南海道は、ミナミノミチ、西海道は、ニシノミチと有り。さてまた郡司のよみ、コホノミヤツコは、郡造にて、国造の例なり。スケノミヤツコは、助造なり。
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『玉勝間』一の巻 位階の正従の訓の事位階の正従の訓、正を於保伊と云い、従を比呂伊と云う。こは天武紀十四年に、更めて爵位の号を改む云々、階毎に大広有り云々とある、この大と広との訓を、うつし用いられたるなり。是等ももとは、於保伎、比呂伎とぞ唱えけむを、ともに伎を伊と云うは、後の音便なり。古今集の序に、柿本の人まろを、おおきみつのくらいと有るは、心得ぬ事ながら、おおいと書かずして、おおきと書けるは、古きにかなえり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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