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玉勝間 / 一の巻 中臣寿詞

相候は、儀式には相仕、大嘗祭式には共作と有り。是等を合せて思ふに、仕も候も誤にて、相作なるべし。由志理伊都志理は、由は齋、伊都は嚴にて、共に齋清めたること、志理は、齋まはり〓まはりの、まはりの如き、辭と聞えたり。日時撰撰定、こはいつも定まれる事なるを、かく申すは、上代には、其度度撰て定めしにや。さて其代の詞のままに、後までも申せるか。赤丹乃穂仁毛の毛ノ字は、衍なり。後ノ人、此言の意を知らず、唯だ上に二ッ仁毛と有るにならひて、みだりにここにも加へたる物なるべし。明御座弖の弖は、かならず止と有るべき所なり。相嘗は、阿比爾閉と唱ふべし。爾閉を牟倍と唱ふるは、後ノ世の音便にくづれたる唱、なり。大嘗も、大爾閉なるを、大牟倍と云ふと同じ。さて此相嘗は、天皇と相伴に、新饗し奉る意の名にて、俗に云はゆる相伴の心ばへなり。さる故に此祭は、必しも其神社の尊き卑きにもよらず、必〓預り給ふべく思はるる神にも、預り給はぬ多し。これ殊に故有て、預り給ふは預り給ふなるべし。其神七十一座おはしまして、四時祭式に見えたり。

新字:相候は、儀式には相仕、大嘗祭式には共作と有り。是等を合せて思ふに、仕も候も誤にて、相作なるべし。由志理伊都志理は、由は斎、伊都は厳にて、共に斎清めたること、志理は、斎まはり〓まはりの、まはりの如き、辞と聞えたり。日時撰撰定、こはいつも定まれる事なるを、かく申すは、上代には、其度度撰て定めしにや。さて其代の詞のままに、後までも申せるか。赤丹乃穂仁毛の毛ノ字は、衍なり。後ノ人、此言の意を知らず、唯だ上に二ッ仁毛と有るにならひて、みだりにここにも加へたる物なるべし。明御座弖の弖は、かならず止と有るべき所なり。相嘗は、阿比爾閉と唱ふべし。爾閉を牟倍と唱ふるは、後ノ世の音便にくづれたる唱、なり。大嘗も、大爾閉なるを、大牟倍と云ふと同じ。さて此相嘗は、天皇と相伴に、新饗し奉る意の名にて、俗に云はゆる相伴の心ばへなり。さる故に此祭は、必しも其神社の尊き卑きにもよらず、必〓預り給ふべく思はるる神にも、預り給はぬ多し。これ殊に故有て、預り給ふは預り給ふなるべし。其神七十一座おはしまして、四時祭式に見えたり。

書き下し

相候は、儀式には相仕、大嘗祭式には共作と有り。これらを合わせて思うに、仕も候も誤りにて、相作なるべし。由志理伊都志理は、由は斎、伊都は厳にて、共に斎い清めたること、志理は、斎まわり清まわりの、まわりの如き、辞と聞こえたり。日時撰撰定、こはいつも定まれる事なるを、かく申すは、上代には、その度々撰びて定めしにや。さてその代の詞のままに、後までも申せるか。赤丹乃穂仁毛の毛の字は、衍なり。後の人、この言の意を知らず、ただ上に二つ仁毛と有るにならいて、みだりにここにも加えたる物なるべし。明御座弖の弖は、かならず止と有るべき所なり。相嘗は、阿比爾閉と唱うべし。爾閉を牟倍と唱うるは、後の世の音便にくづれたる唱えなり。大嘗も、大爾閉なるを、大牟倍と云うと同じ。さてこの相嘗は、天皇と相伴に、新饗し奉る意の名にて、俗に云わゆる相伴の心ばえなり。さる故にこの祭は、必ずしもその神社の尊き卑きにもよらず、必ず預かり給うべく思わるる神にも、預かり給わぬ多し。これ殊に故有りて、預かり給うは預かり給うなるべし。その神七十一座おわしまして、四時祭式に見えたり。

現代語訳

「相候」は、儀式(貞観儀式)には「相仕」、延喜式の大嘗祭式には「共作」とある。これらを合わせて考えると、仕も候も誤りで、「相作」であるはずだ。「由志理伊都志理」は、由は斎(ゆ)、伊都は厳(いつ)で、ともに斎み清めることであり、志理は「斎まわり清まわり」の「まわり」のような添えの言葉と思われる。「日時撰撰定(日時を選び選び定めて)」は、いつも定まっていることなのに、このように申すのは、上代にはその都度選んで定めたのであろうか。そうしてその時代の言葉のままに、後の世までも申しているのであろうか。「赤丹乃穂仁毛」の毛の字は衍字(余分な字)である。後の人がこの言葉の意味を知らず、ただ上に二つ「仁毛」とあるのにならって、むやみにここにも加えたものであろう。「明御座弖」の弖は必ず止とあるべき所である。相嘗は「あいにえ」と唱えるべきである。「にえ」を「むべ」と唱えるのは、後の世の音便で崩れた唱え方である。大嘗も「おおにえ」であるのを「おおむべ」と言うのと同じだ。さてこの相嘗とは、天皇と相伴して新穀の饗応を奉るという意味の名で、俗にいう相伴の趣である。そういうわけでこの祭は、必ずしもその神社の尊さ・卑しさにはよらず、当然あずかられるはずと思われる神でも、あずかられないことが多い。これは特別な理由があって、あずかられる神はあずかられるのであろう。その神々は七十一座おられ、延喜式の四時祭式に見えている。

解説

寿詞の語句の考証が続く段である。宣長は儀式書や延喜式の字を並べて「相作」と定め、衍字を見抜き、後人が前の句にならって字を足した筋道まで推し量る。なかでも相嘗を「あいにえ」と読む説明が大切だ。にえは神や天皇に奉る食物のことで、大嘗も本来は「おおにえ」、それが音便で「おおむべ」と崩れたのだと言う。相嘗祭は、新穀を天皇と神がともに味わう祭で、選ばれる神は社格の高低によらない。宣長はそこに特別な由来があると見て、次の段で左京二条の二神へと話をつなぐ。言葉を正しく読むことが、祭の意味を正しく知ることにつながっている。国学の考証が、読みの一音にまでこだわる理由がよく見える。

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