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玉勝間 / 五の巻 しのぶもぢずり

又垣衣草のかたならんには、かの古今の歌、軒に生るなどこそ詠むべけれ、みちのくのと詠めるは、何のよしぞや。かの國に信夫ノ郡と云ふが有ればとて、さる遠き國の名をとり出て、よしも無き垣衣草の枕詞には、置くべき物かは。又亂るるよしを云はむに、しのぶ草は、いとも似つかはしからず。かの草のさまは、さ云ふばかり亂れたる物にはあらず。それも摺たる形は、亂れても有るべけれど、摺りたるにつけて亂れたらんは、いづれの物のかたにても、同じ事なるべし。いたく物よりことに亂れたる形ならではかなはず。又垣衣は、とり分て摺染などにすべき物にも有らざるをや。さて又かの信夫ノ郡より出ッと云ふ事を破りて、布など、染たるを諸國より貢ることは、古、見えずと云はれたるも、たがへり。延喜の大藏、內蔵などの式にも、諸國所貢染布の色色など見えたるをや。すり衣は、おのが家家にてこそ摺たれ、と云はるれども、さりとて、外より摺っていだす事も、などか無からん。國國より出て名ある物を、めで用ふる事は、今も昔も同じ事なり。さて信夫ノ郡に、石の有しにて摺れりと云ふは、いかが有けむ。

新字:又垣衣草のかたならんには、かの古今の歌、軒に生るなどこそ詠むべけれ、みちのくのと詠めるは、何のよしぞや。かの国に信夫ノ郡と云ふが有ればとて、さる遠き国の名をとり出て、よしも無き垣衣草の枕詞には、置くべき物かは。又乱るるよしを云はむに、しのぶ草は、いとも似つかはしからず。かの草のさまは、さ云ふばかり乱れたる物にはあらず。それも摺たる形は、乱れても有るべけれど、摺りたるにつけて乱れたらんは、いづれの物のかたにても、同じ事なるべし。いたく物よりことに乱れたる形ならではかなはず。又垣衣は、とり分て摺染などにすべき物にも有らざるをや。さて又かの信夫ノ郡より出ッと云ふ事を破りて、布など、染たるを諸国より貢ることは、古、見えずと云はれたるも、たがへり。延喜の大蔵、内蔵などの式にも、諸国所貢染布の色色など見えたるをや。すり衣は、おのが家家にてこそ摺たれ、と云はるれども、さりとて、外より摺っていだす事も、などか無からん。国国より出て名ある物を、めで用ふる事は、今も昔も同じ事なり。さて信夫ノ郡に、石の有しにて摺れりと云ふは、いかが有けむ。

書き下し

又垣衣草のかたならんには、かの古今の歌、軒に生うるなどこそ詠むべけれ、みちのくのと詠めるは、何のよしぞや。かの国に信夫の郡と云うが有ればとて、さる遠き国の名をとり出でて、よしも無き垣衣草の枕詞には、置くべき物かは。又乱るるよしを云わむに、しのぶ草は、いとも似つかわしからず。かの草のさまは、さ云うばかり乱れたる物にはあらず。それも摺りたる形は、乱れても有るべけれど、摺りたるにつけて乱れたらんは、いずれの物のかたにても、同じ事なるべし。いたく物よりことに乱れたる形ならではかなわず。又垣衣は、とり分けて摺り染などにすべき物にも有らざるをや。さて又かの信夫の郡より出ずと云う事を破りて、布など、染めたるを諸国より貢ることは、古え見えずと云われたるも、たがえり。延喜の大蔵、内蔵などの式にも、諸国所貢の染布の色々など見えたるをや。すり衣は、おのが家々にてこそ摺りたれ、と云わるれども、さりとて、外より摺りていだす事も、などか無からん。国々より出でて名ある物を、めで用うる事は、今も昔も同じ事なり。さて信夫の郡に、石の有りしにて摺れりと云うは、いかが有りけむ。

現代語訳

また、しのぶ草の形であるならば、あの古今集の歌は「軒に生える」などと詠むはずで、「みちのくの」と詠んだのは何のわけがあろうか。その国に信夫郡というのがあるからといって、そのような遠い国の名を持ち出して、何の関係もないしのぶ草の枕詞に置くものだろうか。また乱れるさまを言うのに、しのぶ草はまったく似つかわしくない。あの草の姿は、そう言うほど乱れたものではない。それも摺った模様は乱れてもいようが、摺ったせいで乱れているというなら、どんな物の模様でも同じことであろう。とりわけ他のものより特に乱れた形でなければ合わない。また、しのぶ草はとりたてて摺り染めなどに使うものでもないではないか。さてまた、あの信夫郡から産するということを退けて、「布などを染めたものを諸国から貢いだことは昔は見えない」と言われたのも間違っている。延喜の大蔵式・内蔵式などにも、諸国から貢ぐ染め布の色々などが見えているではないか。「摺り衣は自分の家々で摺ったものだ」と言われるけれども、だからといって、よそで摺って出すこともどうしてないことがあろうか。諸国から産して名のある物を愛でて用いることは、今も昔も同じことである。さて、信夫郡に石があって、それで摺ったというのは、どうであったろうか。

解説

しのぶもじずり論の第二部で、真淵の説を一つずつ崩していく。しのぶ草の模様なら、なぜわざわざ遠い陸奥の地名を冠するのか。しのぶ草はそれほど乱れた姿の草ではなく、摺り染めに使う草でもない。さらに真淵は、諸国から染め物を貢いだ例は古くないと言ったが、延喜式の大蔵式や内蔵式には諸国が貢ぐ染め布が載っている、と宣長は証拠を挙げる。摺り衣は家々で摺ったという真淵の言い分にも、名産を他国から取り寄せて愛でるのは今も昔も同じだと、人の暮らしの常識で応じる。文献の証拠と、生活の実感の両方から攻めるのが宣長の論の強さである。最後に、信夫郡の石で摺ったという伝えはどうだろうかと、次の段へ問いを残している。

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