玉勝間 / 十の巻 十王経
所渡有三とは、みつせ川を云ひ、尋初開男云云なども、ふるき物語書どもなどに見えたる事にて、その外も皆世ノ中に云ひならへる說によりて、作りたるものなり。さるをかへりて、世に云ひならへるは、此經より出たるものと心得たる人も有るは、いみしきたがひなり。作りたる名どものさまも、事のさまも、あらたに物したるさまには有らず。世の說をとれるほど、しるき物をや。
新字:所渡有三とは、みつせ川を云ひ、尋初開男云云なども、ふるき物語書どもなどに見えたる事にて、その外も皆世ノ中に云ひならへる説によりて、作りたるものなり。さるをかへりて、世に云ひならへるは、此経より出たるものと心得たる人も有るは、いみしきたがひなり。作りたる名どものさまも、事のさまも、あらたに物したるさまには有らず。世の説をとれるほど、しるき物をや。
書き下し
所渡有三とは、みつせ川を云い、尋初開男云々なども、ふるき物語書どもなどに見えたる事にて、その外も皆世の中に云いならえる説によりて、作りたるものなり。さるをかえりて、世に云いならえるは、この経より出でたるものと心得たる人も有るは、いみじきたがいなり。作りたる名どものさまも、事のさまも、あらたに物したるさまには有らず。世の説をとれるほど、しるき物をや。
現代語訳
「渡る所に三つあり」というのは三瀬川(三途の川)のことを言い、「初めて契った男を尋ねて」云々なども、古い物語の書物などに見えることであって、そのほかもみな世の中で言い習わしてきた説によって作ったものである。それなのに逆に、世に言い習わしていることはこの経から出たものだと心得ている人もいるのは、ひどい間違いである。作った名前のありさまも、事柄のありさまも、新たに考え出したようすではない。世間の説を取り入れたことが、はっきりしているではないか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 人のうまるるはじめ、死て後の事人の生まれ来るはじめ、また死にて後、いかなるものぞと云う事、誰も心にかけて、明らめ知らまほしくするならいなるを、仏ぶみに説きたる、生死の趣、心性のさだ、いと委しきようなれど、皆人の考えたる、作り事なれば、よく悟りあきらめたらむも、ついに何の用も無き、いたずらわざなり。ただ儒者の説に、死にて身ほろびぬれば、心神もともに消えうせて、残る事無しと云えるぞ、よく思いめぐらせば、真にさるべきことわりとは聞こえたる。然はあれども、これもまた頼み難し。すべて物の理は限り無きものにて、火の色は赤きに、焼けたる物は、黒くなり、また灰になれば、白くこそなれ。すべてかく思いのほかなる事有りて、思いはかれるとは、いたくたがえる事の多ければなり。されば人の死にて後のようも、さらに人の智もて、一わたりのことわりによりて、はかり知るべきわざには有らず、思いのほかなるものにぞ有るべき。これを思うにも、皇国の神代の神のつたえ説に、夜見国にまかると云えるこそ、いといと尊けれ。から国のことわり深げなる、さかしき説どもは、なかなかにいとあさはかなる事なりかし。
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『玉勝間』十一の巻 皇極経世書と云ふからぶみの説この天地の始終の説も、仏ぶみの説と同じ事にて、人の見る事なきものなれば、そらに理を考えて云わむには、いかにも造り云うべけれども、そはその始め終りの時に生まれあいて、まさしく見ずは、その説のあたれる事は、いかでかは知らむとする。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事また世に名高き所などをば、外なるをも、しいておのが国おのが里のにせまほしがるならいにて、ただいささかのより所めきたる事をも、かたくとらえて、強いてここぞと云いなして、しるしを作るたぐいなど、はた世に多きを、さる心して、まどうべからず。ふみなどは、むげに見たる事無き、ひたぶるの賤の男の、覚えいて語ることは、しり口あわず、しどけなく、ひがことのみ多かれど、その中には、かえりておかしき事もまじるわざなれば、さるたぐいをも、心とどめて聞くべきわざなり。されどまた、昔なまなまの物知り人などの、尋ね来たるが、ひが定めして、ここはしかしかの跡ぞなど、教えおきたるを聞きおりて、里人は、まことにさることと信じて、子うまごなどにも、語り伝えたるたぐいも有りしなれば、うべうべしくきこゆる事も、なおひたぶるには信じがたし。またみずからそのところのさまを行き見てさだむるにも、くさぐさ心うべき事ども有り。おおかた所のさまかみさびて、木立しげく物ふりなどしたるを見れば、こここそはと、目とまる物なれど、それはたうちつけには頼みがたし。大かたなにならぬ所にも、古めきたる森はやしなどは、多く有るものなり。
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『玉勝間』五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つむかし男久しう云云、真名本に、云えりければの下に、女とあり。むかし女の、あだなる男の云云、女のの、の文字、ひが事なり。すべてのちょう辞は、心得有りて、おくべき所と、必ず置くまじき所との有る事なるを、これはさるわきまえをも知らぬ、後の人の、何心も無く加えたるなるべし。真名本に、女のと云う事無し。それも女と云う言足らず。むかし男、女のまだ世へずと云云、このくだり詞ととのわず。物聞えたるを、後に聞きて、などこそ有るべけれ。
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『玉勝間』十の巻 譬、と云ふものの事ただに云いては、ことゆきがたき心も、万の物のうえに譬えて云えば、ことも無くよく聞ゆる事、多く有るわざなり。さればこの譬えと云う事、神代より有りて、歌にも見え、今の世の人も、常にものすることなり。皇国のみにもあらず、戎の国々にも、古えより有りけるを、もろこし人は、すべて物の譬えをとる事、いと上手にて、言すくなくて、いとよく聞えて、げによく譬えたりとおぼゆる事の多かるを、仏の経どもに、殊に多く見えたるたとえは、多くは物遠くして、よくあたれりとも聞えぬ事をくだくだしく長々と云えるなど、いといと拙なし。仏と云える人の云える事も、かかるものにや。
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『玉勝間』五の巻 漢籍と神ノ御典とのけぢめ上の三件につきて、又おかしきさとし説をぞ思いえたる。そはすべてから書の、万ずにかしこく、ことわり深く聞ゆるにくらべては、神代の伝説どもの、はかなく愚かに聞こゆるけじめを、一つちかき事につきて、さとさむとするなり。たとえば、今この人と云う物を一人、作り出でんとせむに、いかにかしこくさとり深く、たくみなる人の、いかに心をくだきて、例の陰陽和合のことわりを極め、ここらの年月をいたずきて、作り成さむとすとも、かく活きはたらくまことの人をば、つくり得る事あたわじを、上に云えるように、ただかのおとこ女の閨の内のみそかわざによりては、心をも入れず、小刀の一つだにつかわず、何の労も無くて、成り出ずるぞかし。さるはその閨のうちのしわざよ、何のかしこくうるわしく、理深げなる事かは有る。そのありさまは、穂にいだしてまねぶべくも有らず、いともいともひとわろく、めめしく、童べのたわぶれにもおとりて、はかなく愚かなるしわざなれども、これによりてこそ、人のたくみにてはえ作らぬ、まことの人の、さばかりたやすく成り出ずるなれ。神の御しわざは、世にはかりがたく、あやしくたえなる物ならずや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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