玉勝間 / 十の巻 譬、と云ふものの事
ただに云ひては、ことゆきがたき心も、萬の物のうへに譬へて云へば、ことも無くよく聞ゆる事、多く有るわざなり。さればこの譬へと云ふ事、神代より有て、歌にも見え、今の世の人も、常にものすることなり。皇國のみにもあらず、戎の國國にも、古へより有けるを、もろこし人は、すべて物の譬へをとる事、いと上手にて、言すくなくて、いとよく聞えて、げによく譬へたりとおぼゆる事の多かるを、佛の經どもに、殊に多く見えたるたとへは、多くは物遠くして、よくあたれりとも聞えぬ事をくだくだしく長長と云へるなど、いといと拙なし。佛と云へる人の云へる事も、斯かるものにや。
新字:ただに云ひては、ことゆきがたき心も、万の物のうへに譬へて云へば、ことも無くよく聞ゆる事、多く有るわざなり。さればこの譬へと云ふ事、神代より有て、歌にも見え、今の世の人も、常にものすることなり。皇国のみにもあらず、戎の国国にも、古へより有けるを、もろこし人は、すべて物の譬へをとる事、いと上手にて、言すくなくて、いとよく聞えて、げによく譬へたりとおぼゆる事の多かるを、仏の経どもに、殊に多く見えたるたとへは、多くは物遠くして、よくあたれりとも聞えぬ事をくだくだしく長長と云へるなど、いといと拙なし。仏と云へる人の云へる事も、斯かるものにや。
書き下し
ただに云いては、ことゆきがたき心も、万の物のうえに譬えて云えば、ことも無くよく聞ゆる事、多く有るわざなり。さればこの譬えと云う事、神代より有りて、歌にも見え、今の世の人も、常にものすることなり。皇国のみにもあらず、戎の国々にも、古えより有りけるを、もろこし人は、すべて物の譬えをとる事、いと上手にて、言すくなくて、いとよく聞えて、げによく譬えたりとおぼゆる事の多かるを、仏の経どもに、殊に多く見えたるたとえは、多くは物遠くして、よくあたれりとも聞えぬ事をくだくだしく長々と云えるなど、いといと拙なし。仏と云える人の云える事も、かかるものにや。
現代語訳
直接言ったのでは通じにくい心も、いろいろな物事の上にたとえて言えば、たやすくよく分かることが多いものである。だからこのたとえということは神代からあって、歌にも見え、今の世の人も常にすることである。皇国だけでなく、外国にも昔からあったのだが、中国人は総じて物のたとえを取るのがたいへん上手で、言葉が少なくて、たいへんよく分かり、なるほどうまくたとえたものだと思われることが多い。ところが仏の経典に特に多く見えるたとえは、多くは的から遠く、よく当たっているとも思われないことを、くどくどと長々と言っているなど、まことに下手である。仏という人の言ったことも、こういうものなのだろうか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 物をときさとす事すべて物の色形、また事のこころを、云いさとすに、いかに委しく云いても、なおさだかにさとり難きこと、常に有るわざなり。そはその同じたぐいの物をあげて、その色に同じきぞ、某のかたちの如くなるぞと云い、ことの意をさとすには、その例を一つ二つ引き出づれば、言多からで、よくわかるるものなり。
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『玉勝間』十四の巻 又たとへ歌のやうたとえ歌、古今集よりこなたのはその歌を見れば、譬えたる意あらわに知らるるように詠みたる物なり。然るに、万葉集なるは、その事にあたりて、その詠みたる人は、譬えたる心を知るべけれど、後にその歌を見たるのみにては、たとえたる意はこまかには知れ難きが多し。されば今その歌をとくに、大かたにはおしはからるれども、確かには云いがたき歌おおし。その心してとくべきなり。又万葉のたとえ歌は、その譬えたる草木鳥虫のうえの詞と、ただに恋のうえを云える詞とを、あいまじえて詠める多し。これ又心得おくべし。
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『玉勝間』十四の巻 漢籍の説と皇国の古伝説とのたとへ漢ぶみの説は、まのあたり近き山を見るが如く、皇国の上代の伝説は、十里二十里もかさなりたる、遠き山を見るがごとし。漢ぶみの説は、人情にかないて、みな尤もと思わるる事なり。皇国の上代神代などの故事は、何の味も無く、ただ浅はかに聞こゆるは、凡人の思いはかる智の及ぶかぎりとは、はるかに遠きゆえ、その理の聞こえず、ただ浅はかに聞こゆるなり。これかの遠き山は、ただほのかに山と見ゆるのみにて、その景色も何も見えず、見どころ無きが如し。これ景色無きにあらず、人の目力の及ばぬ故なり。又漢籍の理ふかく尤もに聞こゆるは、人の云える説にて、人の情に近きなり。これかの近き山は、景色よく見えわかれて、おもしろき見所あるが如し。
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『玉勝間』十四の巻 から人の語かしこく云ひとれること昔より、世々に、もろこし人の云える、名高き語どもを思うに、ただかしこく物にたとえもし、又ただにても、おかしく云いとれるのみにこそあれ。その心は、学文もせぬ常の人も、心かしこきは、大かた皆もとよりよく心得たる事にて、さしも心に及ばずめずらしき事は無し。されどよく云いとれるがかしこさに、げにさこそは有れと、みな人は感ずるなり。
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『玉勝間』四の巻 世の人かざりにはからるるたとひ皇国と外国とのようを、物にたとえて云わば、皇国の古は、顔よき人の、かたち衣服をもかざらず、ただ在りにて在るが如く、外国は、醜き女の、いみしく髪かおをつくり、びびしき衣服を着かざりたるが如くなるを、遠くて見る時は、まことのかたちの善き悪しきは、わかれずして、ただそのかざりつくろえるかたぞ、まさりて見ゆめるを、世の人、近くよりて、まことの美醜きを見ることを知らず、ただ遠目にのみ見て、外国のかざりをしも、うるわしと思うは、いかにぞや。すべて漢国などは、よろづの事、実は悪しきが故に、それをおおい隠さむとてこそ、さまざまにかざりつくるには有りけれ。
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『玉勝間』五の巻 漢籍と神ノ御典とのけぢめからぶみの説は、いとかしこくは聞ゆれども、人のさとりは限りし有れば、及ばぬところ有りて、かの人のたくみをもて、人を作らんとすれども、ついに作り得ることあたわざるがごとくなるを、神代の伝えごとは、かの閨の内の態の、見る目ははかなく愚かなれども、よく人を造りなすに同じきをや。このふたつを思いわたして、神世の事どもの、うわべは、なにのことわり有りげも無く、はかなくおろかに聞こゆれども、まことには、人の智の及びがたくはかりがたき、深き理のそなわりたんめる事を、さとりねかしとぞ。
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