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玉勝間 / 五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つ

むかし男久しう云云、眞名本に、云へりければの下に、女とあり。むかし女の、あだなる男の云云、女のの、ノ文字、ひが事なり。すべてノてふ辭は、心得有て、おくべき所と、必ズ置くまじき所との有る事なるを、これはさるわきまへをも知らぬ、後の人の、何心も無く加へたるなるべし。眞名本に、女のと云ふ事無し。それも女と云ふ言足らず。むかし男、女のまだ世へずと云云、此くだり詞ととのはず。物聞えたるを、後に聞て、などこそ有べけれ。

新字:むかし男久しう云云、真名本に、云へりければの下に、女とあり。むかし女の、あだなる男の云云、女のの、ノ文字、ひが事なり。すべてノてふ辞は、心得有て、おくべき所と、必ズ置くまじき所との有る事なるを、これはさるわきまへをも知らぬ、後の人の、何心も無く加へたるなるべし。真名本に、女のと云ふ事無し。それも女と云ふ言足らず。むかし男、女のまだ世へずと云云、此くだり詞ととのはず。物聞えたるを、後に聞て、などこそ有べけれ。

書き下し

むかし男久しう云云、真名本に、云えりければの下に、女とあり。むかし女の、あだなる男の云云、女のの、の文字、ひが事なり。すべてのちょう辞は、心得有りて、おくべき所と、必ず置くまじき所との有る事なるを、これはさるわきまえをも知らぬ、後の人の、何心も無く加えたるなるべし。真名本に、女のと云う事無し。それも女と云う言足らず。むかし男、女のまだ世へずと云云、このくだり詞ととのわず。物聞えたるを、後に聞きて、などこそ有るべけれ。

現代語訳

「むかし男久しう」云々は、真名本に「云えりければ」の下に「女」とある。「むかし女の、あだなる男の」云々の「女の」の「の」の字は誤りである。そもそも「の」という助辞は、心得があって置くべきところと、決して置いてはならないところとがあるものなのに、これはそういうわきまえも知らない後の人が、何の考えもなく加えたのであろう。真名本には「女の」ということがない。それも「女」という言葉が足りない。「むかし男、女のまだ世へず」云々のこのくだりは、言葉が整っていない。「物聞えたるを、後に聞きて」などとあるべきである。

解説

長い伊勢物語の覚え書きの最後の部分である。ここで宣長は「の」という一字の助辞に戻ってくる。「むかし女の、あだなる男の」の最初の「の」は誤りで、助辞の「の」には置くべき所と決して置いてはならない所があるのに、そのわきまえのない後世の人が何気なく書き加えたのだろう、と言う。第一部の冒頭でも「男の」の「の」を誤りとしていたから、覚え書きは助辞の問題で始まり、助辞の問題で終わる形になっている。宣長は『てにをは紐鏡』『詞の玉緒』を著して、助辞の働きを体系立てて明らかにした学者である。一字の助辞が文の主語や意味を左右することを、誰よりもよく知っていた。何心もなく加えられた一字が作品を損なう。書き写す人、手を入れる人への戒めとして読める。

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