玉勝間 / 十の巻 李花集の詞歌
李花集にいはく。續後拾遺撰び侍しころ、立親王以前、名字などなんぎに侍りて、思ひの外に、作者にもくははり侍らざりしに、今度風雅集とかや、撰せらるるよし聞えしかども、今は又身のよそにおぼえ侍しに、あらぬさまなる撰者どもにて、爲定卿は、もれ侍るなど聞くさへ、此道も無く成りぬる心地して、歎かしく覺えしかば、歌つかはし侍しついでに「いかなれば身はしもならぬ言の葉のうづもれてのみ聞えざるらむ、「このたびはかきながすとももしほ草なかなかわかのうらみとはせじ。
新字:李花集にいはく。続後拾遺撰び侍しころ、立親王以前、名字などなんぎに侍りて、思ひの外に、作者にもくははり侍らざりしに、今度風雅集とかや、撰せらるるよし聞えしかども、今は又身のよそにおぼえ侍しに、あらぬさまなる撰者どもにて、為定卿は、もれ侍るなど聞くさへ、此道も無く成りぬる心地して、嘆かしく覚えしかば、歌つかはし侍しついでに「いかなれば身はしもならぬ言の葉のうづもれてのみ聞えざるらむ、「このたびはかきながすとももしほ草なかなかわかのうらみとはせじ。
書き下し
李花集にいわく。続後拾遺撰び侍りしころ、立親王以前、名字などなんぎに侍りて、思いの外に、作者にもくわわり侍らざりしに、今度風雅集とかや、撰せらるるよし聞えしかども、今はまた身のよそにおぼえ侍りしに、あらぬさまなる撰者どもにて、為定卿は、もれ侍るなど聞くさえ、この道も無く成りぬる心地して、歎かしく覚えしかば、歌つかわし侍りしついでに「いかなれば身はしもならぬ言の葉のうずもれてのみ聞えざるらむ、「このたびはかきながすとももしお草なかなかわかのうらみとはせじ。
現代語訳
李花集にいう。「続後拾遺集が撰ばれた頃、私は親王宣下の前で、名の記し方などに差し障りがございまして、思いのほか作者にも加わりませんでしたが、このたび風雅集とかいうものが撰ばれるということを聞きましたけれども、今ではまた我が身には関わりのないことと思われておりましたところ、思いもよらない撰者たちで、為定卿は撰者から漏れたなどと聞くにつけても、この歌の道も無くなってしまった気がして嘆かわしく思われたので、歌を送りました折に、『どうして、身分の低くない方の言葉が、埋もれてばかりで世に聞こえないのでしょうか』、『このたびは撰から書き流されようとも、藻塩草(歌)のことで、かえって和歌の浦を恨むことはすまい』。」
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 続詞花集俊成卿の正治奏状に、清輔が、続詞花集と申すうちぎきをつかまつりて、二条院に、勅撰に申しなさむと、申しうけ候いしかども、御承引候わざりし云々、と見ゆ。
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『玉勝間』十二の巻 俊成卿定家卿などの歌を悪しく云ひなす事近き頃、万葉ぶりの歌をものするともがら、みだりに心高き事を云いて、俊成の卿定家の卿などの歌をば、いたく拙きようにたやすげに云いおとすなるは、世の歌よみどもおしなべて、神のごと尊みかしこむを、ねたみて、あながちに云いくたさむとする、みだり事なり。そもそもこの卿たちの歌、悪しき事も、絶えて無きには有らざめれど、すべてのよう、古えより世々のあいだに、ぬけ出でたるところ有りて、まことにいとめでたし。然云いおとすともがら、いかに詠むとも、あしもとへ寄る事あたわじをや。
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『玉勝間』九の巻 新勅撰集の事同書に、文暦元年十一月九日、中納言入道(定家卿)前関白家に於て、新勅撰(先院の御時奏覧せらる)を捜覧す、両殿下監せらる、頗る用捨の事有り、百首を切り棄てらると云云、又入れらるるの人有りと云云。
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふりさのみいひてやむべきにもあらず、よくしたゝめなば、まねび得ることも、などかは絶てなからん、さて又玉葉風雅の二ツの集は、為兼卿流の集なるが、彼卿の流の歌は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新続古今集までのあひだ、格別にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以来世間普通の歌のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の教ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を経ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二條家の正風体といふすがた是也、此ノ代々の集の内にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、さて初学の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、
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『玉勝間』十の巻 連歌の花ノ下と云ふこと菟玖波集の序に吉野ひじりのみかども、撰集に加え、家々の道をえたる人も、式目をつくりて、久しく雲のうえのもてあそび花のもとのたわぶれとなれりと有る。連歌の家に、花の下と云う称あるは、この詞をとれるなるべし。
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『玉勝間』四の巻 為兼卿の歌の事六条の内大臣有房公の野守の鏡の序に云う、この頃為兼の卿と云える人、先祖代々の風をそむき、累世家々の義をやぶりて、詠める歌ども、すべてやまと言の葉にも有らず、と申し侍りしかど、かの卿は、和歌のうら風、えず伝わりたる家にて侍れば、さだめてようこそ有らめ、と思い侍りしほどに、くわしく問う事も無くて止みにき。今またこれをうれえ給えるにこそ、まことの誤りとは思い知り侍りぬれ、と云うに、かの僧あざわらいて、堯舜の子、柳下恵がおとと、皆おろかなりしうえは、その家なればとて必ずしもかしこかるべきに有らず。また仏すでに、わが法をば、我が弟子失うべしとて、獅子の身の中の虫の、獅子をはむに譬えさせ給えり。そのむねにたがわず、内外の法みな、その道をつたうる人、その義をあやまるより、すたれ行く事にて侍れば、歌の道も、歌の家より失せむ事、力無き事にて侍る。かの卿は、御門の御めぐみ深き人にて侍るなるに、これをそしりて、みつしおのからき罪に申ししづめられん事も、よしなかるべきわざにて侍れば、くわしくその誤りを申しがたし、ただこの略頌にて心得給え。
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